先のエントリーに対して、色々な場所で色々なコメントを頂きました。


 まず、心外なのは「原子力ムラから何か貰っているに違いない」というものでした。このブログを見ていただいている方はご理解いただいていると思いますが、私はそういうケチな人間ではありません。ご希望の方には、私の政治資金報告書をお見せいたします。報告書に載らない裏金?、ご冗談を、と言いたいです。なんでもかんでも「原子力ムラ」に絡めて、陰謀論で誹謗中傷するのは止めていただきたいと思います。政策論でのご批判は真摯に承りますが、この手の故なき批判だけは自分の矜持として受け入れられません。


 さて、それ以外のコメントの中に、使用済み核燃料やプルトニウムの扱いについてご指摘がありました。これはなかなか難しい問題です。


 まず、核燃料サイクルについて、再処理事業が困難となった時の使用済燃料の取扱い(返還等)に関して、青森県、六ヶ所村、日本原燃株式会社の間で覚書が締結されています。内容は「再処理事業の確実な実施が著しく困難となった場合には、日本原燃は、使用済燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な措置を講ずる。」というものです。


 現在、青森県知事が何も言っていないのでいいですけども、もし再処理事業を全部止めますとなると、青森県知事や六ヶ所村村長から「では、約束通り、引き取ってください。」と求められます。正直なところ、佐賀県玄海町や鹿児島県薩摩川内市の原子力発電所にはそんなスペースはありません。全国何処の原子力発電所にもないでしょう。つまり、引き取りを求められても置き場がないのです。


 これは極めて深刻でして、核燃料サイクルもやらない、プルサーマルもやらない、ということが確定すれば、その瞬間、覚書の通り「再処理事業の確実な実施が著しく困難」になりますから、青森県知事や六ヶ所村村長からこの話を突き付けられるのです。これはとんでもないことになります。直接処理で地下に埋めようと言ったところで、将来的には何処かの自治体が受けてくれるかもしれませんが、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)受け入れですら、高知県東洋町での様々な出来事を考えれば、今すぐというわけには行きません。


 あとですね、私が気になるのが、核不拡散の話です。例えば、今、濃縮ウランやプルトニウムを保有している国から「うちは本当に僅かなウランやプルトニウムを持っているだけなのに、NPT会議に行けばいつもボコボコに叩かれまくっている。しかし、見てみろ。日本は何の使い道もない高濃度のプルトニウムを14トンも持っているではないか。あれが良くて、うちがダメな理由を言ってみろ。」と言われたらどうするかな、と思うわけです。核兵器を持ちたいと思っている国のいい口実になります。核燃料サイクルも、プルサーマルも止まってしまって、何の使い道もないと看做されるプルトニウムの存在そのものが核不拡散体制の維持にとっては脅威になるわけです。これは来るべき日米原子力協定更新の際に大きな議題となるでしょう。


 こういうことを言うと、「今、プルトニウムがあるから核燃料サイクルをやり続けろ、というのはおかしい。脅しみたいなものではないか。」と反論があると思います。私もこういう論立てはあまり好きではありません。ただ、使用済み核燃料とプルトニウムがあるのは事実なのです。あるから、それにどう対応するかという発想に立たざるを得ません。この現実から逃れることは絶対に出来ません。そして、使い道のないプルトニウムは核不拡散体制の維持にとって脅威です。


 となると、直接処分をするか、それとも別の事を考えるかしないといけません。しかも、その直接処分には使用済み核燃料のみならず、高濃度のプルトニウムも入ってきます。核燃料サイクルをやるのが本当にいいのかどうかについては色々な議論があっていいと思います。私は「狭い国土で原子力発電を始めたことに伴う結果」として、一つの選択肢とせざるを得ないと思っています。


 今から原子力発電所を始めるのではなく、既に始めてしまっている以上はそこで出てくる使用済み燃料の事は考えなくてはなりません。そして、プルトニウムへの再処理も既にやっています。それが直接処分で埋められないから、何とかして容量を減らし、有害度を低減し、かつエネルギーを生み出せる選択肢として核燃料サイクルは存在します。それが良いか、悪いかではなくて、現実にどう対応するかという視点に立たざるを得ないということです。価値判断の世界ではなくて、現実対応の世界だと思います。


 なお、仮に核燃料サイクルをやる際は増殖炉でなくてもいいと思います。増殖させない高速炉も一つのアイデアです。そして、どんどん容量を低減して最終的にはガラス固化体にしてしまうということも検討すべきでしょう。「夢の核燃料サイクル」ではなくなりますけど、プルトニウムを出来るだけ低減するという目標にかんがみれば、それでいいのかもしれません。


 書いていて辛いエントリーですけども、私の頭の中ではどうも隘路に迷い込んでしまいました。