靖国神社の扱いについて、よく「非宗教法人化」、「国有化」といった議論があります。その先には多分、「A級戦犯の分祀」が上がってくるのだと思います。


 私は天皇陛下が参拝できる環境を作るべきという考えの人間です。いわゆる「富田メモ 」にかんがみれば、やはり「A級戦犯合祀」が引っかかっているのだろうと思っています。その観点から、これらの考え方に靡いた時期がありました。


 しかし、この考え方には無理があります。それは、靖国神社が「宗教法人」であるということです。現在の宗教法人の位置付けにかんがみれば、政治がそのステータス等に介入しようとすれば、即「政教分離」の原則に反することになります。


 ただ、かつて1960-70年代に自民党は「靖国神社法案 」を検討し、国会に提出するところまで行ったことがあります。これは国有化によって政教分離のハードルをクリアーしようとしたものでしょうが、その行為自体が政教分離に反するというジレンマがあります。どういう議論が自民党の中にあったのかは分かりませんが、「神社」という呼称を使いながらも「宗教法人」ではないというのは、さすがに無理があると思います。


 この戦後に出来あがった宗教法人法に基づく宗教法人と、政教分離の原則にかんがみる時、政治の側が靖国神社のステータスをあれこれと「一方的に」操作することは難しいと思います。ここの問題がクリアーできるのであれば、「非宗教法人化」や「国有化」は一つのアイデアたれるかもしれませんが、少なくとも私が考える限りはそういう手法は思いつきませんでした。


 私が注目しているのが、2009年11月30日に福岡県の遺族連合会が「誰もがわだかまりなく戦没者を追悼できるよう、(A級戦犯の祭神名票を)『宮司預かり』の状態に戻すべきだ」と、合祀状態の解消を求める見解を決議したことです。


 これが以下の靖国神社見解とどう整合的に考え得るかということは、私の筆力には余るところがあります。


【平成十六年三月三日「所謂A級戦犯分祀案に対する靖國神社見解 」(抜粋)】

靖國神社は、二百四十六万六千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在しています。このような神霊観念は、日本人の伝統信仰に基づくものであって、仏式においても本家・分家の仏壇に祀る位牌と遺骨の納められている墓での供養があることでもご理解願えると存じます。神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません。


 仮に整合性をきちんと取った上で、「宮司預かり(合祀以前の状態)」に戻すことが出来るのであれば、それは有力なアイデアだと思います。しかし、上記でも述べたとおり、そこに政治が強制力を持って臨むことはできません。あくまでも、宗教法人たる靖国神社の自主的な判断によるものであることが大前提です。政治がそこに関与できるのは、せいぜい「ご相談」というレベルでしかありません。


 私は靖国神社は政治と一番遠いところにあるべき存在だと思っています。総理の参拝についても、あえて一言言うとすれば「もっと静かに行けばいいのに」と思います。こんなかたちで注目を浴びていることを、靖国神社に眠る英霊も良しとはしないでしょうから。その観点から、天皇陛下の参拝を可能にするための手法として、あくまでも靖国神社の自主的な判断による「(A級戦犯の祭神名票の)宮司預かり」という考え方に惹かれています。


 本件は様々なご意見、ご異見があるでしょう。私の趣旨を汲んでいただいた上で、色々な見解をお聞かせください。