靖国神社参拝との関係で、時折聞く意見の中に「日本には戦争犯罪人はいない。すべて名誉回復されている。」というものがあります。これは拝聴すべきところもあり、事実誤認のところもありまして、ちょっと物事を整理して書いていきたいと思います。少し長いのは、私の筆力のなさです。予めお詫びいたします。


 まず、先の大戦の処理として、戦争犯罪人が裁かれたのは極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判です。これは国内法に基づいて設立された法廷ではありません。そういう意味で、日本の国内法に基づく戦争犯罪人というのはいない、というのは事実です(当たり前のことですが)。


 では、この極東国際軍事裁判というのは何に基づいているかと言うと、ポツダム宣言の第10項、1946年1月19日に連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が発した極東国際軍事裁判所設立に関する特別宣言、同日に公表された極東国際軍事裁判所条例です。これらに基づいて、裁判が行われ、刑の宣告が行われています。


【ポツダム宣言第10項】

吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ


 ならば、日本には厳密な意味での(国内法に基づく)戦争犯罪人はいない、ということでいいのだなという問いが出てくると思います。しかし、日本との平和条約、いわゆるサンフランシスコ平和条約第11条に以下のような規定があります。


【日本との平和条約】

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。


 日本はこれらの裁判を「受諾」しているのです。なので、国内法上は犯罪人でなくとも、極東国際軍事裁判所を受け入れておりますので、そこを否定することは出来ません。やはり、犯罪が存在をして、それを日本として受け入れているということになります。


 ここで、更によくある意見として「受諾したのは『死刑』といった刑の宣告だけである。」という意見があります。しかしながら、政府はこの見解を取っていません。少し長い引用になりますが、なかなか良い議論をしているのでそのまま引用します。小泉政権時代の政府参考人答弁です。


【平成17年6月2日参議院外交防衛委員会】

○山谷えり子君 東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判は、不当な事実認定もこれあり、十分な弁護権も陳述権も保障されず、罪刑法定主義を無視した、近代国家の裁判とは言えないものではなかったかと多くの国民が考えているのも事実でございます。一九九八年成立した国際刑事裁判所設立条約では、平和に対する罪と同様の犯罪を条約にまとめることができませんでした。しかし、それはそれとして、日本はこの裁判で九百九十名の方が命をささげられました。
 我が国は、昭和二十六年、東京裁判、そして各国で行われた戦争犯罪者を裁く裁判を受け入れ、サンフランシスコ講和条約を締結、平和条約十一条において日本国が戦争裁判を受諾し、その意味で再審はできません。しかし、また今、様々な経緯と情報公開によって、何とか主体的再審を行えないか、歴史解釈権を取り戻して平和外交をしたいという国民の声もまたあるわけでございます。
 日本は東京裁判の判決を受け入れましたが、英文の「ジャパン アクセプツ ザ ジャッジメンツ」の、法律用語ではこれは判決の意味で、フランス語、スペイン語においても、この単語の意味、言語学的には裁判ではなく判決と読めるそうでございます。
 日本は裁判の判決を受け入れていますが、日本側共同謀議説などの判決理由、東京裁判史観を正当なものとして受け入れたのか、また、罪刑法定主義を無視し、今日でも概念が国際的に決まらない平和に対する罪で裁かれたことを受け入れたのか、国民の間に混乱があると思いますが、分かりやすく御説明ください。


○政府参考人(林景一君) お答えいたします。
 先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。
 このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。
 ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。
 したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。


 ここで見て分かるように、個々の事実認識を肯定するとか、積極的に評価するとかいったこととは関係なく、「刑の宣告」であるセンテンスだけを受け入れたという立場は取っていません。なので、極東国際軍事裁判をそのまま受諾したということで、裁判に対して、不法、不当だという異議を申し立てることは出来ません。


 さて、ここからもう少し筆を進めると、「でも、事後に赦免されたではないか。」という見解が出てきます。たしかに、上記で引用したサンフランシスコ平和条約第11条には「赦免」という言葉が出てきます。「赦し」、「(刑を)免ぜられた」のであれば、少なくとも「赦免」された方は戦争犯罪人ではないのではないかという議論が出てきそうです。


 しかし、ここは事実誤認があります。「赦免」された方はいないのです。これは第一次政権時の安倍総理から参議院議長に対して送付された答弁書です。


【平成十八年十月六日・参議院議員福島みずほ君提出第二次世界大戦についての歴史認識及び戦争責任に関する質問に対する答弁書(抜粋)】

二の4について

 日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)第十一条に規定する「赦免」及び「減刑」並びに平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に規定する「赦免」及び「刑の軽減」とは、いずれも刑の執行からの解放を意味すると解される。いわゆるA級戦争犯罪人として極東国際軍事裁判所において有罪判決を受けた者のうち赦免された者はいないが、減刑された者は十名(いずれも終身禁錮の判決を受けた者である。)であり、いずれも昭和三十三年四月七日付けで、同日までにそれぞれ服役した期間を刑期とする刑に減刑された。なお、この法律に基づく「赦免」及び「刑の軽減」が判決の効力に及ぼす影響について定めた法令等は存在しない。


 「赦免(clemency)」という言葉が何を意味するかについては、必ずしも、その後の国内法で明確にされているわけではありませんが、いずれにせよ、「赦免」された方はおらず、すべて減刑です。なので、語感からしても極東国際軍事裁判によって認定された犯罪が消えてなくなったというわけではありません。


 「いわゆる戦争犯罪人は国内法上は『公務死』となっているではないか。」、それは正しいです。しかし、それは単に国内法上の扱いでそうなっているだけであって、上記の論理を全部ひっくり返すことが出来るものではありません。そもそも、公務死となった経緯は、当初戦争犯罪人は国内法上の犯罪人と同じ扱いになっていたため、遺族が恩給等の受給資格がなかったということが問題視されたということです。それはおかしいということで、昭和27年5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事になり、恩給等の資格を認めたということです。特に極東国際軍事裁判の存立そのものが問題視されたわけではありません。


 その他にも「その後、叙勲された方がいるではないか」とか、「国務大臣に任命された方がいるではないか」といった論点もありますが、いずれも、だからといって、極東国際軍事裁判の結果を揺るがすものとは言えません。


 結論から言うと、(1) 戦争犯罪人は国内法上の犯罪人ではない、(2) しかし、日本は(戦争犯罪人を裁いた)極東国際軍事裁判を受け入れた、(3) その後色々な名誉回復的なことが行われたが、それは裁判を否定するものではない、ということになるでしょう。


 これだけの事を説明するのに、紙幅をたくさん使ってしまいました。もうちょっと分かりやすく書けるよう、一層精進します。


(余談ですが、これらの事について政府見解を明らかにしようと思って、当選直後に質問主意書を出そうとしました。一応、先輩議員には根回しをしましたが、その更に上からダメ出しが来ました。たしかに与党議員の質問主意書というのは例がないのですが、しかしながら、結局、これらの事を明らかにするチャンスは3年3ヶ月の現職中一度もありませんでした。泣き言混じりですけどね。)