特定秘密保護法案について、私自身頭の整理が良くないので、もう一度思ったことを書き遺しておきます。間違っていたらすいません。


● 何が「特定秘密」か。

 大体、与党議員のブログなど読んでいると、「そもそも、今回『特定秘密』に指定される情報は、現在の国家公務員法でも秘密扱いされるべきものの中から厳選されたもの。したがって、無制限に秘密指定が広がる余地はない。」と書いてあります。役所からそう説明されているのだと思いますし、基本的には正しいです。


 国家公務員法上の「秘密」とは最高裁判決がありまして、非公知性(一般に知られていないこと)と秘匿の必要性(他に知られてないことについて相当の利益があること)の2要件を具備していることです。私が思うに、本当にこの2つの要件を厳密な意味で具備している情報というのは、外務省といえどもそうそう多くはないと思います。意外かもしれませんが、そんなに多くはありません。


● 「公知性」

 例えば、私のこのブログですが、多分、テーマによっては結構な情報量だと思います。しかし、私はこのブログを書く際、常に頭においているのは上記2要件です。既に何らかのかたちで公開されている情報であることを確認するように努めています。勿論、2要件を具備しているものは絶対に書きません。今回の法案で、その中から厳選して特定秘密指定すべき情報というのは、技術的なもの、捜査情報、真にヤバい情報、そんなもののはずです。


 ここで難しいのが「公知性」ということです。今の日本では情報が満ち溢れていて、結構な情報が公に知り得る状況になっています。ここで問題になるのは、「既に知られているんだけど、役所がその情報にお墨付きを与えるかどうか」ということです。ここが大きいです。例えばですが、日米地位協定に関するこの文書 ですが、これは本来相当に秘密性の高い文書です。しかし、誰かがリークしたのでしょう、既に明らかになっており、ご丁寧に刊行までされています。しかしながら、この文書の公開については、こういう答弁 になっています。


 ポイントは、既に公に明らかになっている情報であっても、役所としてその存在を是認することが出来ない場合、それは引き続き「秘密」なのかどうかのかということです。ここは難しいですね。今回の法律は、こういう情報が明らかになることを防ぐ意味合いがあるのですけども、既に何らかのかたちで明らかになっているものは、そもそも「秘密」なのかどうかということは問われなくてはなりません。これは、例えば「アメリカの情報公開で明らかになった情報」との関係でも同じことが言えます。


● 「秘密」のインフレ

 役所には上記の2要件を具備しないものであっても、「秘」というハンコが押されている書類が結構あります。一般論として、官僚の習性として「自分のやっていることはとても大事だ」と思い、秘指定がインフレ傾向になります。昔、私のところに回ってきた決裁書類に「極秘・大急」と書いてあったので、起案者に電話して「なんで、極秘・大急なんかいな」と聞いたら、「早く決裁が下りるかと思いまして。」という返事がありました。別の機会に、「秘」と書いてある書類のその秘指定に異議を唱えたら、起案者が「オレの担当分野を軽んじているのか!」と激昂したことがありました。在外公館から、しょっちゅうくだらない情報を極秘電報で送ってくるダメな先輩もいました。


 最高裁判決に基づく「(国家公務員法上の)秘密」は定義が決まっており、その中で更に厳選された情報だから、無制限に広がることはない、これ自体は理屈としてはパーフェクトです。しかしですね、役所では一般的に秘指定はインフレ化するのです。「基準」をきちんと決めたからといって、その基準は運用しなくてはなりません。そこに役所の担当者の主観を完全に排除することは出来ません。そもそも、国家公務員法上の秘密ですらないものすら、内部で頑固に「特定秘密性」を主張する御仁がいる時、それを跳ね返すのは人間関係的に、手続き的に大変です。まあ、そんなものが特定秘密になったからといって、別に何の不利益もないのですけどね。


● 違法な手段で集めた情報の扱い

 これは自民党の宇都議員の本会議質問でも問われていました(なお、11/27の宇都議員の本会議質問は抜群に良かったです。ああいう質問を野党もしなくてはダメです。)。


 今の答弁は「そういうことはありません」といった感じです。「ないと言っているからないんです。」、こんなジャイアンみたいな答弁が通用するはずもありません。自衛隊が防衛庁長官に知らせることなく、様々な情報収集をしていたという話も最近になって出てきました。ジャイアン答弁ではダメだということは明らかだと思います。これが軽々に特定秘密に指定されることは、単なる秘密保持の世界を超えて、国と国民との信頼関係に関わることです。


 折角自民党議員からも提起があったのですから、きちんと参議院で議論してほしいと思います。


● どういうケースでこの法律は発動されるか。

 以前も書きましたが、秘密が漏洩した場合、どうなるかということを良くシミュレーションする必要があります。多分、最初は「無視をする」か「そういう事実はない」というのが普通の反応です。まともに反応すると、漏洩された秘密の「真偽」を争わなくてはならないからです。なので、よく官僚OBが得意気になってマスコミで秘密漏洩的なことをやっても、それに役所が反応しないのです(そういう官僚OBは、逆に「どうせ漏洩しても、それを問題にして争ってくることはしないだろう。」とたかを括っているのです。悲しい存在です。)。


 とすると、この法律が真に発動されるのは、「超マズい情報」である場合のみでしょう。スノーデンのようなケースもそうでしょうし、西山事件などもそれに該当するでしょう。その時は、政権一体となって当該漏洩者を潰しに来る時です。その時に、本当に「マスコミへの捜査」はないのかというと、あるんじゃないかなと考えるのが普通です。そういう超マズい情報がスクープとして広く流布されてしまうというのは、ウェブ経由でもあり得ますが、一般的にメディアが介在する場合が多いです。


 平素からバンバンこの法律が発動されるということはまずありません。しかし、いざ発動される時には政権一体となって潰しに来る時です。その時のマグニチュードは相当なものがあります。今、大臣が「メディアへの捜査は基本的にはない」的な答弁をしていますが、例外的にあり得ると見ておいていいでしょう。


 ここまであれこれ書きましたが、上記のように考えると、私は「独立した第三者機関」はあるべきだと思います。非常に高潔な、政治から最も切り離されたところにある有識者数名で作る機関はあるべきだと思います。すべての特定秘密をチェックするのは大変ですが、かといって基準策定だけというのはあまりに弱小に過ぎます(しかも、基準はあっても運用するところで行政裁量が働きますので)。総理は、「第三者機関的に総理がチェックする」みたいなことも言っていますが、ダメですね。総理は忙しい、内閣官房にその役割を担わせるのは適当ではない、そういう状況がある以上「第三者機関的に」なんてのは絵に描いた餅です。


 最後に、宇都議員はとても良いことを言っていました。「今はいいかもしれないけど、将来、カリスマ指導者が出てきて、このツールをフルに活用しようとする場合の歯止めは必要。」といった趣旨でした。これが一番大事なのです。将来的に変なことに使われないための担保を出来るだけ設けておくというのが大事なのです。


 日本の憲法理論では、精神的自由を制限する場合は極めて抑制的でなくてはならないということが確立しています。宇都議員の提起の背景には、こういう良質な保守の発想が生きています。出来るだけ、特定秘密の外延はぼかしておきたい、これが役所側の思いであるのなら、それに対抗するきちんとした理論的背景を持っておかなくてはなりません。培われてきた日本の憲法理論に従えば、萎縮効果が働くような曖昧さを最大限回避するための努力を最後の最後までやる、これが重要です。以前も書きましたが、「●●は特定秘密に当たりますか」というクイズ質問が今でも出てくること、そして、その答弁にどうも一貫性が見いだせないことに対して、国会の良識がもっと働いてほしいと思います。


 ちなみに、民主党の対案、とても良いのです。簡潔に玉木議員が纏めています(ココ )。多分、こういう法律が必要なのかどうかというところで、党内議論が纏まらずに遅出しになってしまったのではないかと思います。「守るべき秘密はある」という入口のところでゴタゴタしてはいけませんね。折角、良い案が出ているのに、これをベースに野党協議をリードできなかったことは残念でなりません。