11月20日に、衆議院の一票格差に関し、最高裁判決が出ます。


 いつも当たらない私の予想ですが、私は「違憲判決」が出ると思います。以前は「違憲」と「違憲状態」の間くらいかなと思っていたのですが、高裁判決レベルで圧倒的多数の高裁が違憲を判示していることにかんがみると、それに抗して違憲よりも下がった判決を出すと、そもそも最高裁が批判の対象に晒されると思います。


 ただし、選挙無効はないでしょう。これまで2回の衆議院一票の格差判決(第33回総選挙に関し1976年4月14日、第37回総選挙に関し1985年7月17日)では「事情判決の法理」によって無効ではないということにしています。


 この「事情判決の法理」、普通に考えれば極めて奇妙なものなのです。これは行政法の分野で、「取り消すと著しく公益を害する事情がある場合」には、違法ではあるものの取消請求自体を棄却することが出来るという行政事件訴訟法の規定がベースにあります。


【行政事件訴訟法第三十一条】

1. 取消訴訟については、処分又は裁決が違法ではあるが、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合において、原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは、裁判所は、請求を棄却することができる。この場合には、当該判決の主文において、処分又は裁決が違法であることを宣言しなければならない。


 しかし、この規定は公職選挙法については準用しないことになっています。本来、選挙関係の訴訟では事情判決の「規定」は適用してはいけないのです。そこで最高裁がどういう論理を編み出したかというと、「規定」ではなくて、「法理」という理屈で事情判決を行ったわけです。「法理」を持ちだしてクリアーできるのであれば、法律の規定で禁じられていても、「法理」を持ち出せばいいわけでして、この最高裁の過去の判決には違和感があります。


 ただ、先例がある以上、ここでも「事情判決の法理」で無効とまではしないはずです。


 では、それで終わりかというと、やはり最高裁から「国会の依って立つところが憲法違反である」と言われたことの重みというのは、とても深刻なものがあります。実は上記2回の違憲判決の後、総選挙が行われたのはいずれも1年程度の間なのです。


● 第33回総選挙(1972年12月10日)→違憲判決(1976年4月14日)→第34回総選挙(1976年12月5日)

● 第37回総選挙(1983年12月18日)→違憲判決(1985年7月17日)→第38回総選挙(1986年7月6日・衆参同日)


 勿論、その時々の国会の構成、政治情勢等があるので一概には言えません。1976年の違憲判決のケースでは、結局任期満了まで引っ張ったということですし、1985年の違憲判決については、そもそも国会が与党多数ギリギリであったこと、解散自体が死んだふり解散(衆参同日)であったこと等にもかんがみれば、別に国会が違憲であることが解散の直接のファクターになったとは言えないのかもしれません。


 ただ、違憲判決が出てしまえば、その国会自体の正当性が問われるというのも事実です。例えば、憲法改正に関するすべての議論は、国民投票法改正も含めて、止まるだろうと思います。違憲の国会で憲法改正はあり得ないだろう、分かりやすい論理です。また、これだけメディアが発達した世の中において、国会が違憲であるということが喧伝されてしまえば、それは為政者にとってボディブローのように効いてくるだろうと思います。普通に考えれば、そんなに長く持ちこたえられないのではないかという結論になるでしょう。


 最近、地元を歩いていると「これから3年の浪人は長いけど頑張りなさい」と言われることが多いです。定石で考えればそうです。私も長い浪人生活を有意義に過ごしていくようにしたいと思っています。くれぐれも言っておきますが、上記については、私がそれを望んでいるということでは決してありません。単なる冷静な分析です。


 しかしながら、11月20日の最高裁判決以降、ちょっと世の中の見え方が違ってくるかもしれないなという漠然とした思いを述べさせていただきました。そこから先の判断は、いつも私が言っている通りです、「解散は総理の専権事項」ということです。