特定秘密保護法の審議が始まっています。私は基本的に「公開してはならない秘密はある」、「そして、一般的な国家公務員法の規定ではその保護は不十分」という立場です。外務省時代に色々とそういうものを目にしてきただけに、そういう思いを強くします。


 そうなのですけど、最近の報道や審議を見ていて、とても気になることがあります。それは「○○は特定秘密か」という議論が非常に多いということです。それは逆を返せば、「法律を見ただけでは良く分からない」ということです。以前も書きましたが、例えば「食料安全保障(法令用語です)」はこの法律で言う安全保障に入るのか、と問えば、多分、答えは「そうではない」ということになるような気がします。しかし、そう読み取れるようなきっかけは法律案を見る限りありません。「TPPの情報はどうか」と問われ、最近「それは特定秘密ではない」という答弁がありましたけど、これとて「読もうと思えば読めなくもない」というくらいの規定です。


 それ以外にも報道の自由とか知る権利とかとの関係でも、その都度「これは含まれる」、「これは含まれない」みたいなやり取りが記者会見や国会審議で行われていますが、それがどういう思考回路でそうなっているのかということは明らかになっているとは言えません。


 この手の表現、思想に関する規制で、こういう状態は望ましいとは言えません。色々な意味で萎縮効果が働くからです。「何が対象なのかよく分からない」、しかも「その法律を前提に秘密に指定してしまえば後はそもそも指定された事実が分からない」となれば、情報を取り扱う人が委縮してしまうことになります。そうならないためにも、相当程度に要件を細かく書きこむことが必要です。でないと、違憲立法審査の厳しいスクリーニングに耐え得ないのではないかとすら思いたくなります。


 「それは国会審議で明らかにしていけばいい」、それも真実です。しかし、法源としての国会答弁は法律本体よりも当然位置付けが下がります。出来る限り、法律案の中に書き込むことが筋です。しかも、今、本法案に関する記者会見や政府答弁は、疑問が発せられると、その都度世論の動向等を見ながら「取って付けた」感がありまして、何となく「法体系」として一貫したものを見出しにくいところがあるなと思います(全体がそうだとはいうことではありません。比較的限界事例的な部分です。)。


 法律の具体的な問題点の指摘というよりも、最近、「○○は特定秘密か」というやり取りに関する報道が非常に多い事実そのものに懸念を抱いたということです。実はそこにこの法律案の一番の問題があるはずです。解決策としては、もう少し特定秘密の要件を詳細化した方がいいでしょう。