といっても、この方々のコント ではありません。予算作成の仕組みの問題です。


 来年度概算要求が100兆円を超えているそうです。財政規律の観点から、本当に心から「大丈夫から」と不安で仕方がありません。「族議員」の意義について色々と議論があります。良い意味での専門性の高い議員がいることはとても大事なことですが、日本では「その業界のために予算を分捕ってくる議員」という意味合いが強いです。


 とは言っても、民主党政権時にも族議員は非常に多かったです。というか、それまで与党経験がなかったので、野党時代は役所にガンガン厳しいことを言っていても、与党になるや否や、自民党同様か、それ以上に「(悪い意味での)族議員化」が早かったと思います。政権交代後、あっと言う間に牙城があちこちに出来あがっていきました。


 それを敢えて言った上で、今の政界を見ていると世界の大まかなスタンダードとは与野党が逆を向いているのがとても不思議です。あくまでも一般論ですが、世界では右派が財政規律重視派で、左派が財政積極派であることが多いです(必ずしもそうでない例は多々あります)。アメリカに行った際、共和党の議員が「あの左巻きの奴等は財政に緩くてダメだ」と民主党の批判をし、民主党の議員は「景気回復のためにはそんな堅いこと言ってちゃダメ」と言っていたのを思い出します。日本ではどうも今はこの傾向が完全に逆を向いています。別に(日本の)民主党が元々から財政規律重視派ではなかったのですが、マニフェスト等で痛い目に遭ってから非常に主張が財政規律重視派になりました。ということで、世界から見ると逆を向いています。


 そんな中での100兆円超の概算要求。私の経験からすると、要求させたら切り込むのは相当に難しいです。一旦要求する以上、それなりの理屈を付けてきます。その理屈に逐一反駁して査定していきながら、兆単位の削減をしていくのは限りなく難儀な作業です。本当に財政規律のことを考えるなら、概算要求の段階できめ細かなルール決めをしておかなくてはなりませんが、今回はそういう縛りが事実上ほとんどなかったようです。


 民主党もこれで失敗しました。2度目の予算編成だったと思います。まず、各省庁の予算を自分で切り込ませ、ただし、戦略的に重要なものについては要求ベースでは削減分の3倍くらいの要求をしていい、ただし、それは厳しく査定するというルールだったと思います(細部は違っているかもしれませんが)。一見良いルールに見えるでしょうが、これが良くなかったのです。戦略的に重要なものの中に、限りなく経常経費に近いような「切れない予算」を潜り込ませてきたのです。


 役所は狡猾です。査定して切り込もうにも査定できないようなものをここにぶつけてきたわけです。それでも、私は当時の国家戦略相が鬼の査定官としてバシバシやるのだと思っていたら、結局それはあまり出来ませんでした。おまけに、当時私がやっていた特別会計仕分けについて、国家戦略相が対外的に「予算捻出は特別会計仕分けの成果にも期待したい」と発言するに至っては、かなりムッとしました。要求シーリングの設定ルールが甘かったが故に、財政の肥大化を止められなかったということです。


 何が言いたいかというと、予算編成では「(要求を)言わせたら、査定が苦しくなる」ということなのです。財政健全化は待ったなしです。社会保障は引き続き毎年1兆円近い増。国債残高はどんどん増えていく。経済成長による税収増、増税、諸改革による支出削減、この3つを天秤にかけるような議論がありますが(●●をする前に○○みたいなもの)、残念ながらそれは危機感が足りませんし、何処かに必ず嘘があります。全部3つともやらざるを得ないのです。その苦しくも困難な作業をやるのが与党の仕事だと思っています。


 そんな中、100兆円増の概算要求を言わせてしまったわけです。多分、この調子では大して切り込みも出来ず、当初予算額は膨大なものとなるでしょう。財務省で査定をする主査には大学の同級生がかなりいます。彼らの苦悩たるや、推し量るに余りあります。こういうことを言うと「財務省の手先」とか言われるのですけど、話せば話すほど、彼らほど国家のことを思い、昼夜を問わず頑張っている人を私は見たことがありません。


 「言わせない技」、今後、財政規律を重視した上で予算編成をしていくためにはこれがとても大事だと思います。