私が通商問題に関心を持つようになったのは、大学2年くらいの頃だったかなと思います。法と経済の間みたいなところがあったのが肌にあったのでしょう。外務省の試験は法律と経済が半々くらいでして、法学部に属していても経済学を相当に勉強せざるを得ず、興味深く感じたのかもしれません。逆に日本の研究家で通商問題を専門にやる層が比較的薄いのは、法学部においても、経済学部においても、必ずしもメインストリームではないということがあるように感じています。


 そして、外務省の試験にめでたく合格した後のことです。私のいた大学の法学部というのは、(謙遜でも何でもなく)勉強したくない人に快適な環境が整っており、ゼミは必修でない、卒論はない、しかも夏休みは(国家一種試験や司法試験受験者用に)3ヶ月強で無茶苦茶長いという、普通に考えれば「学び屋」としては如何なものかという場所でした。そういう中、「(試験勉強とは違うことを)ちょっとは真面目に勉強しておかないと、本当に大学生活でアカデミックな世界と縁がなかったということになってしまう。」と思って、大学3年の後期にゼミを履修しました。


 私が取ったのは、石黒一憲教授の国際通商法関係のゼミでした。「最恵国待遇」、「内国民待遇」・・・、聞いたことのないフレーズが飛び交っており、色々な意味で衝撃的でした。最初のゼミで石黒教授から日米経済摩擦関連で「no less favourable treatmentというのはどういう意味だ?(含意としてmore favourableではないだろうという示唆)」と問われてタジタジになりました。課されているルールはno less favourable treatmentを提供することなのに、その規定を根拠として、日本に対して国内での対応に比してmore favourableな扱いを求めるアメリカはおかしいではないかという議論が展開されていたわけですが、私はそもそも何を話しているかすら分かっていませんでした。


 その後、外務省に入ってから、一年目はWTO協定を担当する課に配属になりました。省内で一二を争う忙しい課でありまして、当時、課の一年目省員は「ヨットスクール研修生(某ヨットスクールより厳しいという意味で)」と呼ばれたものです。その後も課長補佐になってもWTO協定を担当したということがあり、今、思い直すと「11年半くらいいたけど、1/3くらいは通商問題をやっていたな」という感じです。


 と、若干の思い出話でしたが、私が石黒ゼミで与えられたお題は「チキン戦争について」でした。これが今日のトラックの関税というお題に関わります。石黒ゼミは学部内でも有名なハードなゼミでして、私に与えられた本当にお題はこれだけでして、自分で泣く泣く調べてゼミでプレゼンをして議論をするということになってしまいました。その後、あれこれ調べて勉強したのを懐かしく思い出します。


 これは何かというと、1950年代後半から欧州の市場にアメリカの安いチキンがどんどん入ってきていて、市場が席巻されようとしていたことに対抗して、フランスや西ドイツが主導するかたちでEECが共通農業政策の中でチキンに可変課徴金を課したことがきっかけになっています。可変課徴金というのは、どんなに輸入価格が変化しようとも一定の基準価格との間の金額をすべて課徴金として取るという仕組みです。いわば、一種の最低輸入価格制度だと思っていただければいいと思います。フランスは欧州のチキン市場からアメリカを追い出し、自分が勝ち取りたいという思いもあったでしょう。


 これが1960年代前半のアメリカと欧州の最大の貿易紛争と言ってもいいと思います。冷戦になぞらえて、「チキン戦争」と呼ばれました。可変課徴金の結果として、アメリカのチキン産業は欧州市場を失っているわけでして必死です。当時、ケネディ大統領、アデナウアー首相といった首脳レベルでかなり激しくこの件について議論がなされています。しかし、結局この交渉はまとまらず、アメリカのジョンソン大統領は対抗措置としてジャガイモのでんぷん、デキストリン、ブランデー、ライトトラックに25%の関税をかける決定をします。本来、累次の交渉でチキンの関税も、これらの品目の関税も下がってきていたのですが、いきなりこれらの関税がバーンと跳ね上がったわけです。


 効果は覿面でして、今度は西ドイツ産のフォルクスワーゲンのバンのアメリカ市場でのシェアが見る見るうちに下がっていきます。その後、結構、このチキン・タックス(チキンのせいで上がった関税の意)は自動車貿易の色々なところに影響を及ぼしていて、いわゆる「ライトトラック」に当たらないようにするための細工(例えば、取り外し可能な座席を付けてライトトラック扱いにしないとか)をしてアメリカに輸出したり、分解してパーツでアメリカに輸出して現地組み立てをするとか、それは色々な迂回措置が取られたりもしてきました。


 それはともかくとして、その後、ライトトラック以外の3品目についてはチキン・タックスは撤廃されています。しかし、ライトトラックだけは残っています。そして、ここで重要なのはGATT・WTOの原則が「最恵国待遇」ということです。実はアメリカはチキン戦争の結果、欧州にだけ関税を上げたのではなく、すべての国からの輸入に対して上げたのです。


 よく、TPPで取りたい成果として挙げられるのは、自動車2.5%、トラック25%の関税だという説明がされます。自動車はともかくとして、トラックの関税が高いのは実は今から50年前の米・EECのチキン戦争に由来しているのです。しかも、アメリカの自動車業界はこのチキン・タックスを守るよう政府に強い圧力をかけています。完全に既得権益化しています(もっと言えば、アメリカのトラック生産が競争力がないのですけど)。


 石黒先生は、これをおかしなこととして強く非難していました。「何故、チキンの問題を自動車にまで波及させなくてはいけないのだ。貿易ルールとしておかしい。」、そんな主張でした。もう少し派生させると、私がゼミにいた1993年当時、WTO協定の紛争処理で「クロス・リタリエーション」という制度が導入されることが決まっていました。これは何かというと、「ある分野でWTOルール違反での損害が認定されたら、別の分野で対抗措置を取ることが出来る」ということです。石黒先生はこれとチキン戦争をなぞえているようなところがありました。簡単に言うと、ある分野(ある品目)で揉めているなら、出来るだけその中で解決して、あまり外に波及させるんじゃないということでしょう。


 今のTPP交渉実務者の中にも、何故アメリカのトラックはこんなに関税が高いままなのかということを知っている人は少ないでしょう。実は50年以上前に欧州市場に怒涛の進出をしたアメリカ産のチキンが原因だったというお話でした。ちなみに最後に言っておくと、今ではこういうチキン戦争で米、EECが取った手法はかなりの程度、WTO協定で蓋がされています(「そんなことが出来るならやれ」という声があるでしょうから、あえて言っておきます。)。