TPPに関して、関税に関する撤廃期間として「10年」を前提とした議論が行われています。「撤廃期間について10年以上とするものも検討」みたいな報道が出ています。ここで誰も言わないのですけど、「何故、10年なのだろうか」ということが全く取り上げられないのも不思議です。実はこれはWTO協定に根拠があるのです。


【千九百九十四年の関税及び貿易に関する一般協定第二十四条の解釈に関する了解】

加盟国は、

(略:前文)

ここに、次のとおり協定する。

(略)

第二十四条5

(略)
3.第二十四条5(c)に規定する「妥当な期間」は、例外的な場合を除くほか、十年を超えるべきでない。中間協定の締約国である加盟国が十年では十分でないと認める場合には、当該加盟国は、一層長い期間を必要とすることについて物品の貿易に関する理事会に十分な説明を行う。


 これだけでは分かりにくいのですが、イメージとしては、最終的にTPPと呼ばれる自由貿易地域を作り上げるための期間は基本的には10年を超えるべきではないということが書かれているとご理解ください。この了解は、勿論、国際条約でして、TPP交渉参加国すべてが批准しているWTO協定の一部を構成しています。


 つまり、基本的には10年の期間の内に関税の撤廃は完了しなさいよということが、TPPであろうが、それ以外の自由貿易協定であろうが、名称を問わず決まり事があるのです。そして、それを超えるものについては、WTOの物品理事会でその理由を説明しなくてはならないということになっています。


 今後、関税の分野で考えていかなくてはならないのは、非常に雑に言うと、①10年以内に撤廃できるもの、②10年以上掛けて撤廃するもの、③撤廃しないもの、④削減に留めるもの、⑤再検討とするもの、といった仕分けです。私は昔、④については撤廃に向けた努力の一環として撤廃率のカウントに何らかの反映をさせられないかと考えたことがあります(このエントリー の後半部分です。技術的に難しいことを書いています。)。


 まず、よく見極めなくてはならないのは、「どんなに改革をしようとも、補助金で支えようとも、関税撤廃が出来ないもの」が何かということです。ここが難しいのですが、一番典型的なものは砂糖です。特に沖縄のサトウキビから取れる砂糖は、価格的には残念ではありますがオーストラリアの砂糖と競えるところまでは行きません。ここは明確に③でしょう(それ以外の品目についても色々あることは知っておりますが、あえて例示は砂糖に留めておきます。)。


 こういういわばモノカルチャー経済について、国際貿易の中でどう考えるのかというのはとても重要なポイントです。WTOの場でも、例えば、同じく砂糖産業に多くを依拠するモーリシャスはこの点の主張が強かったです。他の農作物に移行していくことができず、単一産品に依拠する国(地域)については簡単に国際貿易のルールのみで切っていけないところがあります。


 ①と②については、産品毎に国内制度改革を組み合わせながら、どの程度の期間があれば撤廃への道筋をつけることが出来るかということを細かく検討していく必要があります。それが10年なのか、15年なのか、17年なのかということです(これまでのありとあらゆる自由貿易協定の中で20年を超えるステージングをしたものはなかったような気がしますが、あったかもしれません。)。その改革プログラムなしには、関税撤廃の提示は出来ないでしょう。


 GATTウルグアイ・ラウンド合意(WTO協定)については、その実施に際し改革を進めていくということになっています。その一方で、国内では1995-2000年のウルグアイ・ラウンド合意対策予算で事業費6兆円(国費2兆7千億円)が行われました。その結果は一部批判的に取り上げられているのは御承知の通りです。もう、TPP合意が出来上がった後に、農業と関係の薄い施設を全国に作るだけの余裕はありません。


 基本的には10年、例外的に10年を超える期間で改革を進めていく必要があります。関税撤廃にのみ焦点が集まりますけども、今こそ農政のあり方をよく見直して、関税撤廃でも耐えうる品目を作り上げていく必要があります。それは品目によっては大いに可能だと思います。10年は短いようで、長いようで、人によって捉え方が違いますけども、自然と大地を相手にする農業にとってはそれ程長い期間だとは思えません。今、この時点でWTO協定が実施されてから18年になります。17年くらいのステージングを勝ち取ることが出来れば、それくらいの期間で何をするかという大きな絵を描くことは出来ます。


 個別品目には立ち入りませんが、改革に必要な期間として与えられている10年という国際的な相場観の中で今、考えなくてはならないところに来ています。政府には、目先のTPP協定ということに留まらず、その結果を10年+αという時間を見据えて大きな絵を描いてほしいと思うところです。


 最後は陳腐な言い方になりました。