今日は日本とは全く関係ない話を一つ。なお、ある雑誌記事にかなり依拠したエントリーです。


 国際刑事裁判所という組織があります。虐殺や戦争犯罪に関わった個人を裁く国際裁判所でして、オランダのハーグにあります。日本は加入していますが、アラブ諸国の大半、中国、ロシア、アメリカは入っていません。アメリカは自国民が国際刑事裁判所に引き渡されないようにする二国間協定をかなり締結しています。ブッシュ政権時代は国際刑事裁判所を敵視していましたが、オバマ政権になってそれが実態的に大きく変わったとも思いません。


 そして、私はこの国際刑事裁判所が昔からあまり好きではありません。アメリカのような理由ではありませんし、虐殺や戦争犯罪を見逃していいと思っているわけでもありません。国際刑事裁判所は恐らく、地球規模でのヒューマニズムを実現する場なんだろうと信じたいです。ただ、何となく私には「(文化が高いと自負している)欧州が(文化が低いと見下している)アフリカをぶっ叩くためのツール」に見えるのです。アフリカに2年住むと、何となく私もそういう感覚を一定程度共有してしまうのです。


 先日、この国際刑事裁判所で審理が始まっていたローラン・バグボ元コートジボワール大統領が調査の段階で証拠不十分と判断され、裁判所への付託を当面行わない旨の決定がなされました。経緯を説明すると、2010年の大統領選挙で負けたバグボは負けを認めず、結果としてウアタラ現大統領と内戦を繰り広げました。その際、日本大使公邸も襲われました。バグボは戦闘に負け、拘束されるわけですが、騒乱の最中に人道に対する罪があったとしてこの国際刑事裁判所に送致されたわけです。邪推かもしれませんが、バグボは欧米、特に宗主国フランスに嫌われており、そのあたりも送致の背景にあるのではないかと思います。なお、証拠不十分とされたのは、検事(ガンビア人)が集めた証拠が間接情報が多い等の理由でした。


 国際刑事裁判所は、現在、アフガニスタン、グルジア、コロンビアといった国での事件について調査をしていますが、まだ具体的なところには全く至っておらず、現在、裁判が調査のフェーズから進んで、付託、起訴、予審、一審といった具体的なところまで来ているのはすべてアフリカです。コンゴ民、中央アフリカ、スーダン、ウガンダといった国の個人ばかりですし、日本では「スケベニンゲン」として知られるオランダのスヘフェニンゲンにある拘置所にいるのもすべてアフリカ出身者です。さすがに「中東、南アジアや旧ソ連圏にもいるだろうよ、同じような事件を起こした人間が。なんで、アフリカだけが狙われるの?」という声が上がってもおかしくありません。


 アフリカは植民地や奴隷の経験があるので、このあたりのことに対するセンシティビティーが非常に高いです。今はスーダンのエル・バシール大統領やケニアの新大統領たるウフル・ケニヤッタといった元首に対する逮捕状が出ています。彼らの行った事はたしかに何処かで裁かれるべきものだと思いますが、アフリカ政治的には「いけすかない」ということになるでしょう。


 国際刑事裁判所が果たしてきた役割を否定するものではありません。国内裁判制度が不十分なところを補完する役割を果たしたことは数知れず、また、国際刑事裁判所の存在自体が権力による大規模犯罪行為への抑止力になったこともあります。上記でアフリカ側の感情を少し代弁しましたが、逆にアフリカ内部の論理だけに任せておくと(例えば、アフリカ連合の中に裁判所を置くとか)、元首級を訴追するような組織は絶対に出来ません。


 私があまり好きでないと言ったのは、国際刑事裁判所そのものではありません。その運用です。簡単に言うと、「アフリカ以外で付託する案件を一つくらいやってみなさい。でないと、組織の中立性に疑問を持たれるよ。」ということです。私はひねくれているせいか、どうも欧州的なヒューマニズムが自己中心的に見えてしまいます。「悪しき啓蒙主義」とでもいうのですかね。国際刑事裁判所における起訴案件の選択にその悪しき啓蒙主義は現れていないだろうか、そう思うわけです。


 若干支離滅裂かつ日本に何の関係もない話でした。