ちょっと大仰な題ですけども、TPPに関する国内議論を見ていると、ちょっと気になることがあります。それは「かつて、日本が通商交渉で譲歩することを一旦は決断した時よりも後退した議論が罷り通っている。」ということです。何が言いたいかというと、WTO農業交渉で日本が決断した(と思われる)内容以下の議論が横行しているということです。


 少し噛み砕きますと、今でこそ動いていませんが、2008年(石破農相の時代です)、WTOドーハラウンド交渉がかなり盛り上がり、かなり合意に近いところまで行きました。その時の議長テキストとそれに対する日本の主張を振り返る必要があります。


 この資料 の4-9ページ(PDFのページではなく、資料本体のページです)までが関税に関する部分です。とても分かりにくいのですけども、非常にザクッというと、議長からの提示はこんな感じです。


(1) 関税は大幅に削減。高関税品目ほど高く削減。(現行の税率が75%を超えるものは70%削減。例:500%であれば150%まで削減。)

(2) 全体の4%の重要品目(sensitive product)については、削減幅を抑えることができる。ただし、重要品目については関税割当を削減幅の圧縮の度合いに応じて拡大(例:税率500%の品目の削減幅を1/3(70%→23.3%)に押さえたければ、関税割当を4%拡大。)

(3) 重要品目を4%→6%にしたければ、関税割当の拡大枠を更に0.5%追加。

(4) 削減した後も関税率が100%を超える重要品目は、関税割当の拡大枠を更に0.5%追加。

(5) 一般品目で削減した後も100%を超えるものについては、更に代償を出す。


 これに対する日本の主張は、「重要品目を8%まで確保できるようにする」、「上限関税(一律関税率を●%とするといったルール)の阻止」というところに集約していました(その他にも関税割当拡大については柔軟性が必要といった主張もありました。)。交渉の最終版には「重要品目が6%もやむなし」というところまで判断したという報道もありました。


 そうやって考えると、最終的にこの農業交渉は纏まらなかったものの、日本はある程度この議長テキストを「微修正の上、受け入れやむなし」ということで進んでいたわけです。そこには政権としての判断があったと思います。


 ここまで小難しい技術的な話でしたが、さてこれを具体的な状況と照らし合わせてみるとどうなるかということです。


 まず、農産品の数ですが2012年の時点で1929です(HS9桁ベース)。上記の議長テキストはHS6桁ベースでの議論なので、この1929で考えるのは本当は適当ではないのですが近似的にこれで進めていきます(議論の大勢には影響がありません)。


 とすると、重要品目が日本の主張通り8%取れたと仮定すると、重要品目は154品目(1929×0.08)になります。この重要品目には高関税率のものが入ってくるでしょう。ただ、上記にもあるとおり、この重要品目でも関税削減をしなくていいわけではなくて、少なくとも23.3%は削減しなくてはならないわけです。コメでいうと削減幅は抑え込めますけども、関税割当をかなり拡大しなくてはならないのでこれはこれで辛いものがあります。詳細は省きますが、コメの関税率が778%だとするとその関税率を598%で抑える代わりに、関税割当枠を恐らく40万トン近く拡大することが要求されます。そして、先日書いたように日本は基本的には割当枠を全量輸入していますので、それがそのままガンっと国内市場に乗ってくることが想定されます。


 154品目については、関税割当枠の拡大とのセットで関税の削減を相当に緩和してもらえるけども、それ以外については関税率75%以上の品目は70%、関税率20%以下の品目であっても50%の削減が要求されるわけです。関税削減が全くない品目など勿論存在しません。


 では、今、TPP等で議論に上る関税撤廃の議論と照らし合わせてみます。日本は今、HS9桁ベースで9000品目です。そして、一度も既存のFTAで撤廃したことがない品目は全体で900程度、農林水産品では840程度です。その数字と、このWTO農業交渉で日本が重要品目に設定することに最後までこだわった死守すべき150品目(HSでの品目計算上、当時は多分130前後だったと思われます)の差をどう考えるかということです。


 そうやって考えると、日本は少なくともその840品目をWTO農業交渉上ですべて重要品目にすることはそもそも想定していなかったのです。恐らく高関税品目との見合いで計算すると、8%は取れていないときついということだったのでしょうが、それは今、主張されているコメ、乳製品、小麦、砂糖、牛肉・豚肉といったものをすべて包含することは当然できません(一例として、関税撤廃したことのない乳製品だけでタリフラインが150近くあったと記憶しています。)。重要品目に含まれない品目については、(撤廃ではないものの)大幅な関税削減を想定していたわけです。


 「関税削減と関税撤廃は次元が違う」、その通りです。一緒にしてはいけません。そういう意味で、上記の比較はとても雑です。明確にそれは認めておきます。ただ、逆に考えると、今、日本で「TPPでは●●死守」と言っているものがすべて実現できるのであれば、WTO農業交渉の妥結など痛痒に感じることはなかったはずです。


 何が言いたかったかというと、日本が推進してきたWTO交渉ですらこれくらい厳しいことの妥結寸前まで行ったわけで、そこで日本は一定程度の腹を括っていたわけです。自由貿易協定の通商交渉は、関税撤廃(や削減)についてWTOよりも高い水準を求められるというのは当然のことだと思う時、少なくとも2008年に腹を括ったレベルよりも下がった議論が展開されているのを見ると、世界の流れとはちょっと距離があるなと思うわけです。