国会審議の中で、安倍総理が憲法学の大家、芦部信喜教授のことを知らなかったということで、ちょっとした話題になっています。


 まず、最初に言っておきますが、私は「●●を知ってますか」といったクイズ形式の国会質疑が嫌いです。余程例外的な事情を除いては、一生やらないでしょう。理由は言わなくてもご理解いただけると思います。2009年8月以前の国会で、民主党が多用し、かつ、2009年8月以降の国会で野党が多用した手法です。見ていてドタバタ感があり、マスコミ的には面白いのかもしれませんが、国政との関係では殆ど有益性がないものです。そのあたりはマスコミにも、「そんなものは取り上げない」といった自制が欲しいなと思います。


 それを明確に述べた上で言えば、「芦部信喜教授は知っていてほしかった」という思いがあります。別に憲法を学ぶのであれば、芦部説を学ばなくてはならないということではないのですけども、私の時代から現在に至るまで、憲法を学ぶ大学生がまず最初に触れるのが芦部教授の著書だというのは変わっていません。だからといって、安倍総理が憲法を学んでいないというふうに言うつもりもありませんし、御自身の信念と知見に基づいて色々な発信をしていること自体はよく知っています。特定の人物の名前を知っているか否かで、その分野への知見が評価できるわけではありませんし、私はそういうことはしません。単に「知っていてほしかった」、それだけです。


 なお、私は大学時代あれこれと憲法について読んでみました。そして、フランスでもモーリス・デュヴェルジェという憲法学の大家の本を齧ったことがあります。そういう中で、芦部教授の説に必ずしも肯んじ得ないところもあります。時折、「ちょっと現状肯定に偏りすぎじゃないか」、「判決の読み方をあまり自説に誘導しない方がいい」と思ったこともあります。


 あと、フランス憲法を学ぶと、統治機構のことばかりを学ばされて、あまり人権については出てきません(それは深い理由があるのですけども、ここでは触れません。)。かねがね日本の憲法学の中で不思議に思ってきたのは、「政治学」とのリンケージが弱いということです。フランスでは政治学と憲法学がとても近いところにあります。統治の機構があれば、それが政治的にどういう作用をするのかということを分析するところまでいかないと意味がないはずです。しかし、日本ではこの距離がとても遠いです。これは今の日本の大学のシステムの中で、公法学というのと政治学というのが学部レベル、学科レベルで切り離されていることが多いのも一因ではないかと思います。


 日本の憲法学というと、ともすれば人権や自由のところに重点が置かれすぎてしまいます(軽んじていいという意味ではありません)。今、思いなおしてみると、政治学とは意図的に距離を置いているのかなとすら思えます。それはもしかしたら、戦後日本の歩みの中でそういう傾向を見出すことができるかもしれません。実際、芦部教授の本を読んでみると「ちょっと統治機構のところが弱いかな」という気がします。


 脱線気味でありますけども、知っている、知らないで特に何か批判めいたことは言いません。繰り返しになりますが、「知っていてほしかったな」というだけです。