原子力発電所の将来について、私の考えは「脱原発は常に大目標として存在している。そして、常にその方向に向かって進んでいくべき。ただし、それは技術の革新等に見合ったスピードで進んでいくべきであり、自分の実力を超えたスピードで脱原発に走ることは許容されない。」というものです。その観点から必要な再稼働はやるべきだと思っています。大体、これが平均的な感覚ではないかと私は思っています。


 「即時原発廃止」というのは言葉としては美しいです。私も原子力発電所を今すぐすべて廃止できるならそれが一番だと思います。ただ、それに伴う電気料金の上昇、貿易赤字の拡大、生活水準の低下、日本の衰退を受け入れる覚悟が必要です。その負の部分を言わずに「即時廃止」を言うのは違うように思います。実際に九州電力は1kwhあたり8.5円の料金値上げを申請しており、これは原子力を停止したことが原因だということは誰もが理解しているところです。


 「値上げ回避のために電力会社は身を切るべき」、正しい面はあります。ただ、勘違いしてはならないのは電力会社が身を切る努力をすれば値上げは回避できるということはないということです。電力会社のコストの大部分は燃料やインフラであって、削減可能な経費はそれ程多くはありません。仮に電力会社の職員に給料を全く払わなくても、現状では電気料金の値上げは生じます。上記の1kwh8.5円の上げ幅がある程度削れますが、到底ゼロにはなりません。しかもです、仮に廃炉を進めるとしても40年はかかります。そのための人材は常に必要です。報酬面で未来のない世界に入ってくる高校生が今、いるでしょうか。


 「発送電分離をして、電気供給に新規参入が出てくれば競争が促され電気料金は下がる」、多分あまり下がらないでしょう。例えば、九州において、現在の九州電力よりも効率的に発電することができる事業者はありません。初期投資必要額が膨大であり、かつ上記にもある通りコストカットできる部分が限られているわけですから難しいでしょう。それは送電網への接続料を下げたとしても同じことです。可能性があるとすれば、現在の電力会社間での仁義なき戦いみたいなことなのかもしれませんが、これとて九州で言えば関門海峡の電線網の不十分さから行って大した競争を促すとは思えません。


 「再生可能エネルギーがあるじゃないか」、はい、あります。大事にしていくべきだと思います。しかし、再生可能エネルギーによるエネルギーと原子力によるエネルギーは別物と考えた方がいいでしょう。私の地元若松区南二島には東京製鉄九州工場があります。電炉による製鉄でして、スクラップにかなりの電気を当ててから精錬していきます。あれだけの出力の電気を再生可能エネルギーで賄えるかというと、ちょっと別物だと思います。再生可能エネルギーは日常生活で最大限活用すべきですし、そのための推進策を講じていくべきです。ただ、だから「即時に原子力がなくていい」というところに行きつくには距離があります。冒頭で言った「自分の実力に応じたスピードでの脱原発」ということですね。


 私がとても気になるのは、上記で書いた人材育成です。大学入試のこの季節、東大、京大、名古屋大学を始めとする原子力工学系を目指してくれる高校生がどれくらいいるのだろうかということです。アメリカの有識者と話していたら、「うちはスリーマイル島の事故以来、新たな原発建設がなかったために人材が衰退していった。どんなに国が努力しても、明るい将来が見いだせない業界に人材が入ってこないのは止められない。」とのことでした。今年の(原子力工学系を持つ大学の)受験状況や東大の進学振り分けってどうなっているんだろうと興味津々です。


 あと、詳細を書くことは避けますけども、日本には使用済み核燃料から取り出したプルトニウムが14トンあります。仮に高速炉やプルサーマルでの使用がないとすると、このプルトニウムは使途が無くなります。使う当てのないプルトニウムを持っている国の存在、ちょっと奇妙だと思いませんか。外国から見た時にどう見えると思いますか。


 最後にちょっと情緒的かもしれませんが、これまでNPT体制の中で核の平和的利用のリーダーは日本だと言っていいでしょう。細かいことは控えますが、原子力の世界で核兵器非保有国の中で日本ほど優遇された国はありません。イランから韓国まで、どの国も日本並みのステータスを得たいと思っています。その日本がリーダーの座から降りると、その時に原子力発電の世界で世界のリーダーになるのは中国でしょう。原子力発電で中国が世界のリーダーであることに対する違和感を持つ方は国内外にたくさんいるんじゃないかなと思います。


 繰り返します。私は脱原発は目標として常に持ち続けるべきだと思います。自分の政治活動の中でその目標に向かって着実に進んでいくこともお約束します。ただし、それはあくまでも「自分の実力に応じたスピード」でやっていくということです。