集団的自衛権についての論議が賑やかになっています。ベースは2007-2008の安倍政権、福田政権時代に提言された以下の4類型がベースになっていると言っていいでしょう。これについては、以前考え方を書きました(ココ )。ただ、類型論とか解釈論の前にもう少し、国際社会の文脈に置き直したところから考え直した方が良いのではないかと思っています。


【4類型】
① 共同訓練などで公海上において、我が国自衛隊の艦船が米軍の艦船と近くで行動している場合に、米軍の艦船が攻撃されても我が国自衛隊の艦船は何もできないという状況が生じてよいのか。
② 同盟国である米国が弾道ミサイルによって甚大な被害を被るようなことがあれば、我が国自身の防衛に深刻な影響を及ぼすことも間違いない。それにもかかわらず、技術的な問題は別として、仮に米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合でも、我が国は迎撃できないという状況が生じてよいのか。
③ 国際的な平和活動における武器使用の問題である。例えば、同じPKO等の活動に従事している他国の部隊又は隊員が攻撃を受けている場合に、その部隊又は隊員を救援するため、その場所まで駆け付けて、要すれば武器を使用して仲間を助けることは当然可能とされている。我が国の要員だけそれはできないという状況が生じてよいのか。
④ 同じPKO等に参加している他国の活動を支援するためのいわゆる「後方支援」の問題がある。補給、輸送、医療等、それ自体は武力の行使に当たらない活動については、「武力の行使と一体化」しないという条件が課されてきた。このような「後方支援」のあり方についてもこれまでどおりでよいのか。


 というのも、今の種々の解釈論の前提は冷戦時代に作られたものです。米ソが対峙していた時代であり、今ほど国連PKOの役割が目立っていなかった時代です。この頃の国際情勢と、今の国際情勢を並べて、同一の基準で考えていくのはそもそも違うのでないかと思います。


 冷戦時代は、例えば日本が①や②のような事をすれば間違いなく、日本は米ソの紛争にそのまま巻き込まれてしまうおそれが非常に高かったでしょう。そして、そのまま無制限の集団的自衛権行使に突入していったかもしれません。その当時であれば、①や②は「我が国を防衛する必要最小限の範囲」を超えていたと考えるのが適当だったのでしょう。しかし、今はどうでしょうか。特定の国を想定することはいたしませんが、正に北東アジア有事を想定した際に①や②のような活動は「我が国を防衛する必要最小限の範囲」に入ってきていると見ることが出来るような気がします。特に、これを看過すれば、日米同盟が崩壊して日本の個別的自衛権そのものが成り立たなくなるという厳然たる事実を見ていく必要があります。


 ③と④についても、かつて国際貢献がそれ程でもなかった時代にはこれでよかったのでしょうが、今や防衛省の本来業務の中に国際貢献が入ってきているわけです。その本来業務を行っていくに際して、③や④のようなことが出来ないのであればそもそも国際貢献などするべきではないはずです。なお、④についてはもう少し歯止めが必要かもしれません。しかしながら、「武力行使との一体化」論という何処の国にも存在しない基準を設けていることはそろそろ止めにすべきです(というか、説明しても外国には理解してもらえない。)。


 キーワードは、いずれも「我が国を防衛する必要最小限の範囲」であり、「国際貢献(に必要最小限の範囲)」です。ここできちんと歯止めを掛けていけばいいと思います。そして、この必要最小限の範囲は国際情勢の変遷によって変更されうると考えることはできないのかなと思います。よくよく思いなおしてみれば、「今の国際情勢の中で何が『我が国を防衛する必要最小限の範囲』か」という問いを立てる人はあまりいません。しかし、この問いこそ、もっともっと議論されなくてはならないと思います。日本の法律論というのは、一般的にとても静的です。前例を重んじるのは法律家の常と言えばそうですが、国際社会はそんなに静的な法律論はおかまいなしにどんどん動いていきます。


 そうやって考えていくと、もしかしたら上記4類型を採用することは「解釈改憲」でも何でもないということすらあり得ます。国際情勢の変化に応じた「考え方の再整理」だと見ることができるかもしれません。冷戦時代とポスト冷戦時代、そして新たな世界と移り変わってきたことに、日本の自衛権を取り巻く状況も変わってきていることは当たり前のことです。そのような中、①や②が「必要最小限の武力の行使」に入ると「再整理」をする、③と④についても同じでして、そもそも冷戦時にはあまり期待されていなかった国際貢献のカテゴリーが出てきたことに対する自衛権概念の「再整理」をする、それでいいような気もしてきました。


 なお、今日のエントリーは、ある極めて優秀な有識者からの示唆からかなり影響されています。私自身になかったダイナミックな考え方だったので、自分なりに咀嚼し直した上で自分の見解として述べさせていただいています。