霞ヶ関の省庁間にはいつも激しい権限争いがあります。その根拠になるのが、各省庁の設置法です。設置法には省庁の権限が書いてあります。何処かの省庁が新組織を作ったり、組織改編をするために設置法や組織令を変更する際には、省庁間協議で変更された組織が自分のところの権限に食い込んでないかを厳しく見ます。少しでも食い込んでいるのではないかと疑いがある際はその疑いを晴らすための色々な手立てが講じられます。


 そして、その間接的な論理的帰結として、実は霞ヶ関には「省庁間に一切の権限の重複はない」という前提が存在します。省庁間で似たようなことをやっているとしても、それは絶対に同じことをやっていることにはなっていません。しかも、その設置法、組織令に基づいて定員要求がなされ、定員が配置されているわけですから、本当に厳密に言うと、霞ヶ関には一人として同じ業務をやっている人間は存在しない、ということになります。法律、制度上はそうなっています。


 これは良いところもあって、私は事務官、課長補佐時代に上司から「この仕事をやっているのは日本で君だけである。ということは、君は担当分野について日本一のプロになる気概を持たなくてはならない。」と指導されたことがあります。ともすれば、お役所の縦割りは否定的な意味合いだけしか与えられませんが、私はその時「この業務縦割りの中、これについては自分は日本一になろう」と思ったものです。なれませんでしたが・・・。


 例えば、経済産業省と外務省には経済連携課という同じ名前の課があります。それぞれの省において、経済連携協定を担当しているはずです。しかし、制度上はこの2つの課は似て非なることをやっていると整理をされています。それが世間の目から見てどうかということは抜きにして、別の業務を担当していると推定されます。


 行革をやっているといつもここに突き当たります。複数の業務の重複を指摘し、スリム化を指摘すると、関連するお役所は必ず「重複があるように見えるが、実はちっとも重複していない」ことを延々と説明してくれます。そして、その後「関係省庁間で連携、調整します」という返事になります。ここで言う連絡、調整とは「省庁間でお互いに相互不可侵条約(某議員の使った名文句です)を結びます」ということを意味しており、一切切り込む意思はありませんという意図表明を意味します。


 行革で無駄を排するという作業を丹念にやろうとすると、このお役所の抵抗に延々と付き合わなくてはいけません。最近「増税する前にやることがある」という主張をする方で、その「やること」の中に行革を含める議員がたくさんいますが、その議員さん達の中で徒労感の強い不毛な、しかし、行革に付き物のこの作業をやったことがある方が何人いるでしょうか。「やり方を変えれば、そんな不毛な作業は不要。」、そうかもしれません。私が不器用なだけなのでしょう。しかし、私は新しいやり方をまだ知りません。


 ということなのですが、この重複、無駄について一番これから気を付けなくてはならないのは、今回の来年度概算要求で重点項目になっているグリーン、ライフ、農林水産です。仕組みを説明すると難しいのですけど、非常にざっくり言うと本来認められている概算要求の範囲において、グリーンは4倍、ライフ、農林水産は2倍まで要求を膨らませることができるという感じでいいと思います。


 そうすると、何が起こるかというと各省庁からどんどんグリーン、ライフ、農林水産関係の事業での概算要求が上がってきます。その中には重複とか無駄とかの概念が全くない状態でともかく「グリーンに引っ掛ければ予算がたくさん取れる」という発想に立つわけです。そもそも、予算をたくさん取ることが公務員として優秀なのだという考えを転換すべきだという議論はありますが、なかなかそれを転換するのは難しいです。そうすると、極めて似通った事業が複数の省庁から上がってきます。


 実は今の予算査定の仕組みの中では必ずしもこの重複が解消できるようにはなっていません。省庁が縦割りであるのと同様に、査定をする財務省主計局も結構縦割りです。主計局は忙しいので相互の横の調整をするのは難しいのだろうと思います(丁度、大学の同級生辺りが主査をやっていて激務を見ているので特にそう思います。)。そうすると、それぞれの役所が担当の主計官のハードルさえ超えてしまえばポコポコ重複の事業が出てきかねません。一旦事業に予算がついてしまうと、あとは各省は「如何に自分達の事業は他と重複しないか」という理屈を山のように作り出してしまいます。


 これからの概算要求の中で、このあたりに手が付けられるような仕組みを盛り込んでいかないといけません。地味な作業なんですけどね、これ。