いつも楽しみにしている憲法審査会が久しぶりに開かれました。今回は第四章「国会」でした。私の発言の映像は です。


 概ね、以下のような事を言いたかったのです。


● 議員立法と党議拘束の関係

 議員立法は本来20人の議員が提出者となれば出せるはずなのですが、現在、衆議院の慣行として会派の機関承認がないと受け付けないことになっています(これは先例集にすら載っておらず、純然たる慣行でしかない。)。こんなに議員立法の敷居が高い国は珍しいです。何人集おうが、最終的には会派の機関承認が必要なのです。

 私はこれは閣法における党議拘束とパラレルで考えた方が良いと思っています。今の日本は、閣法に対する党議拘束がきつく、かつ、議員立法の敷居が高いです。これですと、政権に入っていない議員の役割が極限まで下がってしまいます。それを解消する手段が与党の事前審査制ですが、これも現与党下ではあまり上手く行っていません。逆にアメリカでは党議拘束はユルユル、議員立法は1人でも出せるということで日本とは真逆の状態です。

 自民党の与党事前審査制が上手く機能したのは、派閥が機能していたからです。不満があっても最後は派閥のレベルである程度は抑え込める素地があり、最終的には派閥の重鎮クラスが集う総務会で了承を取り付けるということで纏めるシステムが機能していました。民主党の事前審査制が機能しにくいのは、グループがあまり強く機能しないので最終的に不満を持つ方への対応が難しいという背景があります。

 私は事前審査制という国民からは完全にブラックボックスになっている部分で、政権に入らない議員の思いを処理するというのはあまり好きではありません。むしろ、議員立法の敷居を下げることで「言いたいことがあるなら議員立法でやれ」ということにしておけばいいのです。提出された法律を国会で取り上げるかどうかは、それこそ各党執行部、国会対策委員会で決めればいいのです(筋が悪いものは、そもそも審議に乗せない。)。

 これをやると、政党の内部規律が少し緩みます。「議員立法で所属政党の意向と真逆の法案を出す議員が出てくる時、どう対応する?」という疑問もあるでしょう。ただ、この方程式は何処かに歪みが出るのは避けられないのですから、それは事前審査制というブラックボックスよりも、議員立法というかたちで表に出してやった方がいいというのが私の見解です。


● 定足数と党議拘束の関係

 これは簡単でして、今、国会でのどんな会議でも、定足数を満たす義務があるのは与党とされています。閣法が大半ですから、それを通すために定足数を満たし、会議を成立させる努力をするのは与党だろうという推定が働きます。したがって、野党議員が委員会で不在なのは咎められませんが、与党議員は不在だとすぐに呼び戻されます(元々きちんと出席すべきものなのですが)。ただ、これも仮に党議拘束が緩い文化が根付けば、上記のような前提は働かないのだろうなと思いました。少なくとも、アメリカ連邦議会における定足数充足のあり方は全然違うはずです。


● 特例公債法案、問責決議の憲法における位置づけ

 これは最近、エントリーを書きました(ココ )。


● 衆議院と参議院の差異化

 これは憲法審査会でかつて発言しています(ココ ココ )。


● 国務大臣の国会への出席義務

 これは相当昔に一文書いています(ココ )。


● 議院(議員)の国政調査権

 これは個人的な経験も交じります。今、憲法で認められているのは議院による国政調査権であって、議員による国政調査権ではありません。何が違うかというと、基本的に院として、もっと言えば委員会としての合意がないものは乗らないということです。国勢調査権の発動は議長か、委員会の委員長名で行われます。これだと少数勢力の国政調査権が制約されることになります。

 私個人の経験とは、当選直後に出した質問主意書のことです。東京裁判史観、外国人参政権、世襲議員の三件について質問主意書を国会に出し、党執行部からお叱りを受け取り下げたということになっています。ちなみに、当時、無謀な一年生議員が勝手にやったという印象を持たれたのですが、そんなに私はアホではありません。一定のランクの方までは根回しをし、了承を取り付けていたのが、最終的にかなり上の方からダメ出しが来たというだけなのです。

 なお、その時には「与党議員なのだから、別のやり方で疑問は解消すべき。」というお話でしたが、正直なところ3年経っても、当時私が質問主意書に託した疑問は全く解消されていません(3テーマについて、私が知る努力をしていないわけではありません。単に緻密な議論は紙に乗せないとやれないというだけです。)。質問主意書は、形式的には正に国会議長から内閣総理大臣への質問の形式を取りますから、会派がノーを出すと成立しないということを当選直後に痛いほど経験しました。

 こういう経験にかんがみると、もうちょっと「議院」ではなく、「議員」個人の国政調査権を真正面から認めてもいいのではないかということになります。あまり広げ過ぎてもいけませんが、今はあまりに抑制的に過ぎます。


 まあ、長々と書きました。こうやって書いてみると、憲法典はそれぞれの国の政治サブカルチャーと切り離して考えることはできないのだなあとしみじみ感じます。サブカルチャーと切り離した機構論が如何に無意味かということです。陳腐な意見ですけど。