国内政治の話が続きましたが、そんな中、とても気になることが西アフリカのマリ共和国で起きています。どうも、イスラム・マグレブのアルカーイダ(AQMI)の分派である(とされる)アンサール・エディーヌが、ユネスコ世界遺産のトンブクトゥで破壊活動をやっているようです。


 トンブクトゥと言われてもピンとこない方が多いかもしれませんが、私なりの意味づけをすると「サハラ砂漠とサブサハラアフリカの結節点たる場所」ということです。まあ、サハラ砂漠はとても広いのでこのトンブクトゥだけが結節点というのは本当は筋違いなのですけども、私はこのトンブクトゥを超えればそこは広大なサハラ砂漠なのだというような情緒的な見方をしています。もっと分かりやすく言えば「交通の要所」です。


 元々、非常に古くから人が住んでいたようですけども、世界史に出てくるようになったのは、マリ王国の王様マンサ・ムーサがメッカ巡礼の際、大量の金を使ったせいでカイロ、メッカ、メディナの金の値段が落ち込んだみたいな話くらいからです。マンサ・ムーサは巡礼の後、トンブクトゥに(今も残る)ジンガレイベル・モスク を建設させます。このジンガレイベル・モスクも世界遺産登録されており、今回の破壊の対象になっているようです。また、イブン・バトゥータがこの地を訪問して、その旅行記が当時の欧州で「トンブクトゥ」という名前に特別の意味を与えるきっかけになったということもあります。


 何故、イスラムのモスクをイスラム主義者を名乗るAQMIが破壊しているのかというと、霊廟とかモスクとかに地域の聖人が祭られていることがイスラムに反するということのようです。たしかにイスラムは個人の肖像を祭ることを禁じているという解釈をする原理的な考え方がありますが、そんなことはコーランには書いておらず、あくまでも預言者マホメットの言行録たるハディースにそう読める規定があるくらいの感じです。私は世界であちこちのモスクを見たことがありますが、厳密に個人の聖像、肖像が禁じられている国など本当に稀です。本当に残念なことです。


 今回のAQMIの動きを見ていると、タリバーンによるバーミヤン遺跡の破壊ととても重なり合うのです。あの時、私は外務省中東第二課課長補佐でした(どうでもいいことですが、この資料 を書いたのは私です。)。そもそもタリバーン自体はバーミヤン遺跡などどうでもよかったのです。しかし、イスラム主義的なアル・カーイダが入り込んでくることにより、タリバーン自体が変質し、乗っ取られ、一心同体になっていったというのが実態のところでしょう。当時、タリバーンとも話したことがありましたが、正直、バーミヤン遺跡を破壊しなくてはならないという思いは彼ら自身の中には低かったと思います。今回も同じです。本来、もうちょっと北アフリカで暴れていたAQMIがリビア情勢の結果、大量の武器と共にマリ北部に押し出されてきて、結果としてマリ北部で独立運動をしていたトゥアレグ族に寄生した。そして、トゥアレグ族からするとこれまで自分達の大事な遺産だと思っていたトンブクトゥまでもが破壊されようとしている。今や北部マリ地域は、トゥアレグ族の独立運動グループは完全にマイナーな存在になってしまい、代わりにリビアから持ち込んできた重火器で武装したイスラム主義者達が幅を利かせています。獅子身中の虫とはこういうことを言います。


 もう一つ、バーミヤンと共通しているのは「砂質」であるということです。何を意味しているかと言うと「壊れてしまうと修復ができない」ということです。バーミヤン遺跡はどうあがいても無理でした。ましてやサハラ砂漠のど真ん中ですから、一旦壊れてしまえば復元はまず無理だと思います。また、この地に残る手書きの古文書、書物までもが破壊されようとしているようです。古い歴史を伝える書物は人類の共通財産です。本当に残念なことです。だから、国際的な圧力をかけて止めさせないといけません。

 

 昔から、この地域は国を持たない民トゥアレグ族の反乱に巻き込まれてきました。ただ、1996年には和平が成立してトンブクトゥで「平和の火(flamme de la paix)」式典が行われました。これはトゥアレグ族が使っていた小火器を燃やして、平和への意思を新たにするというとても尊い式典でした。結局、トゥアレグ族の反乱は完全に収まることはなく、今となっては(本来地域と関係のない)イスラム主義者が入り込んでしまって、町全体が破壊されようとしているというのは嘆かわしいことです。


 実は私はトンブクトゥには行ったことがありません。しかし、近くのジェンネ・モスクバンジャガラの崖 という2つの世界遺産までは行ったことがあります。ジェンネ・モスクは上記のジンガレイベル・モスクと似ています。世界で色々なモスクを見ましたけども、一番興味深いモスクの部類に入りますね。イスラムと言っても色々な形態があって、それぞれの土着の文化と繋がっています。マリのこの地域の文化とイスラムが繋がるとこうなるんだということです。バンジャガラの崖はもっと興味深くて、アニミズムを信ずるドゴン族がイスラムの迫害から逃れて辺境の地に逃げてきた、しかも崖の上に住むようになったということなんですね。何を恐れたから、環境の悪い崖の上に穴を掘って住むようになったのか、非常に不思議な場所でした。この2つは私が行った世界遺産の中で最も難易度が高いものの中に入っています。


 なお、トンブクトゥということで言えば、ちょっと古いですけどこのCD がとてもお勧めです。このCDを聴きながら、トンブクトゥの遺跡が安寧なる時を取り戻すことを願うばかりです。