与野党を問わず、国会で内閣総理大臣経験者を見て思うのは「もう、これ以上やることないだろうに。なんで衆議院議員をやっているのだろうか。」ということです。なお、本エントリーにおいては、特定の者を指す意図は全くありません(といっても対象者全体が現在の衆議院議員の中に7人しかいないわけですが(現職を除く))。


 日本国の最高指導者をやるというのは重いことです。麻生太郎さんが「どず黒いまでの孤独」という表現を使っていました。自分が最終的な日本国の責任者であるという孤独感はやった人にしか分からないはずです。やりがいも緊張感もあるでしょう、恐ろしいくらいに。逆に言えば、一度経験してしまったらそれ以上何も目指すこともないんじゃないのかなと思うのです。


 「やり残したことがある」、総理でやれなかったことが一衆議院議員としてやれるはずがありません。仮にそういう課題があるのなら、それは後進に託すべき課題です。


 「もう一回やりたい」、今の動きの速い世の中で一度退いた方に再度白羽の矢が立つことはまずないですね。残念ながらそういうチャンスは基本的には巡ってきません。今、総理経験者が7人いますが、それらの方が再度総理大臣になる可能性というのはまずないでしょう。正に「空気を読め」ということだと思います。


 私は「総理経験者(現職を除く)は次の衆議院議員選挙には出ない」というのを日本政界の中で慣行化すべきだと思います。そういう意味で小泉総理の身の引き方は立派だと思います。どうしても議員を続けたいということであれば、その総理経験者には「良識の府」たる参議院から大所高所のご指導をしていただくのが最善の姿であろうと思いますから、例えば直近の参議院全国比例で出ていただくというのもいいでしょう。


 というか、本来であれば国際社会で活躍するというのがいいのです。トニー・ブレアが国連の中東和平特使をやったりしていますね。国際社会、特に途上国は長老を重んじる文化がありますから、正に日本の総理経験者が活躍できる場があると思います。勿論、語学、外交センス等の個人の資質があることが大前提ですが。


 ある心ある同期当選組の議員と話していた際に盛り上がったネタです。