国民投票について、憲法改正のみならず、国政にとって重要なテーマについても可能とすべきかどうかというテーマがあります。これは現在の国民投票法の附帯決議に「国民投票の対象・範囲については、憲法審査会において、その意義及び必要性の有無等について十分な検討を加え、適切な措置を講じるように努めること。」というのがあります。


 憲法のみならず、幅広いテーマについて、直接国民の声を聴くというのはとても尊いことなのですが、フランスでの国民投票制度を少しだけ齧ってきたものとしてはある程度の留保があります。


 まず、そもそもフランスの第五共和制で何故国民投票制度が設けられたかというと、基本的には「議会不信」といった背景があると思います。第四共和政における政権が議会との関係で安定しなかったため、初代大統領シャルル・ドゴールはとても議会の権限を小さくしようとしました。国民に直接問うことで議会を飛ばそうとしたということがあります。実際にド・ゴールは憲法改正そのものを正式の手続きに依ることなく、国民投票のみで改正したことすらあります(当然、その改正の合憲性自体が問われた案件ですが)。ということで、国民投票という制度そのものが、ともすれば議会不信と表裏一体になることがありうる(常にそうではありませんが)、ということには留意すべきだと思います。


 また、これは政治的な絡みですけども、法律案であったり、国政の重大テーマであったりを時の政権が国民投票に付した結果として、それが否決されたら、普通は内閣総辞職になります。フランスではこれまで2度、国民投票が否決されておりますが、1969年の上院改組等を目的とする国民投票が否決された際はシャルル・ドゴール大統領は辞任しました。また、2004年の欧州憲法条約批准が否決された際は、ジャン・ピエール・ラファラン首相は辞任しました。フランスは国のトップとして大統領と首相に権限が分有されているので、その時の政治状況等でどちらが辞任するかというのは分かれますけども、政治的権限がフランスのようなかたちで分有されていない日本においては、政権が満を持して提出した国民投票が否決されれれば内閣総辞職しかないでしょう。場合によっては解散総選挙かもしれません。


 つまり、日本において新たに多岐に亘るテーマで国民投票制度を実施する場合、その機能というのは、現在の制度下では解散総選挙が果たしている政権信任を国民に問う役割と殆ど同義になるのではないかと思います。政権の命運をかけるものになりがちであるということです。それが悪いとは言いませんが、解散総選挙の代替物になる可能性が高いということについては議論が必要だろうと思います。


 また、投票率の問題もあります。フランスで実施された国民投票の中で、1988年のニューカレドニアに関する協定承認関係では投票率が37%と非常に低かったです。フランス本土から見ると地球の裏側にあるニューカレドニアの話があまりリアリティがなかったということも無関心の原因なのではないかと思います。しかも、賛成派80%ですから、37%の8割で概ね全有権者の3割程度の賛成で可決されたということになります。勿論、だからといって可決された事実が軽視されてはならないわけですけども、そもそも論として投票率が低かった事実を以て、案件そのものがディスクレジットされたかのような印象を持たれることは宜しくないように思います。国のあり方としては重要なテーマだけども、実際には特定の集団、特定の地域のみに大きな影響が出る案件について国民投票に付した結果、投票率が低かった時の世論の流れにまで思いを馳せないといけません。場合によっては、可決されたのに、その特定の団体、特定の地域が敗北感を持つことだってあるわけです。


 あと、私は首相公選制については日本政治のサブカルチャーの中ではなかなか上手く行かないだろうという見解の持ち主ですけども、仮にこの国民投票制度と首相公選制がミックスされた時、何が起こるだろうかということを考えます。つまり、首相公選制の下、首相と議会が対立関係になりモノが決まらないということになった時、私が首相なら議会を飛ばすためのツールとして国民投票を多用するようになるでしょう。議会でチクチク苛められて妥協を迫られるくらいなら、一発バーンと国民投票を打って、その声で議会を押し切るという手法を使うはずです。その結果、政治制度の中における議会の位置づけが限りなく下がるということになります。


 フランスでのゴーリズムのスピリットを知る身としては、どうしても国民投票制度自体が君主的統治のツールに見えてなりません。それは上手く行く時はとても良い制度なのですけども、上手く行かない時はポピュリズムと独裁という制度に繋がる可能性があるということは念頭に置いた方がいいでしょう。