ここ数日、私のブログのアクセスがとても伸びているので「何かな」と思ったら、数日前に書いたエントリーの関係でした。どうも誤解のある書き方をしていたのようなので真意を説明します。


 私は国籍を変えて、色々なチャレンジをすることはとてもいいことだと思います。日本人であれば実現できなかったことを、他国の国籍を有した上でチャレンジするフロンティアを求めることは、特に咎めるものでもなく、むしろ応援すべきものです。ウェブ上では「激怒」とか「批判」とか書いていますが、全然そんな気持ちはありませんし、素直に応援しています。


 ただし、そこで言う「応援」とは、「かつて同じ日本人であった者として、今、日系一世のカンボジア人として新たに頑張ろうとしている方へのエール」を意味します。私はオリンピックで日本の選手と猫ひろしさんが競い合う時は、(上記のような心情的なエールはありつつも)日本の選手を応援します。日本の選手が勝てば日の丸掲揚と君が代斉唱になる一方で、猫ひろしさんが勝ったら、カンボジア国旗掲揚でカンボジア国歌斉唱になります。日本人であれば、君が代が流れ、日の丸が掲揚されることを望むでしょう、それだけのことです。オリンピックは個人の戦いではありつつも、何処かで国と国との対決みたいなところもありますから尚更です。


 一般論として、ある人と国家との繋がりを見る時に、血統を重視するのか、国籍を重視するのかということが根底にあるように思います。日本人は島国であり、歴史的な経緯から国籍法は血統主義による国籍付与の制度を取っています。ただ、帰化については一定の要件を満たした方には血統とは無関係に判断され、国籍が付与されます。したがって、最後の最後のところは、ある人と国家との繋がりを判断する基準として公平かつ客観的なものは国籍ということになります。


 こういった話は今年1月にアメリカに行った際に強く再認識したところです。日本人は「日系アメリカ人」というと、日本に対する幾許かの親近感を持っていると思いがちですが、当のご本人達は殆どその意識がなく、「自分は純然たるアメリカ人。先祖を辿れば日本人だというだけ。」くらいの感じです。日本もこれから更に外国の方が帰化し、かつ、どんどん日本人が外に出て外国籍に帰化していくようなことが増えるでしょう。その時のメルクマールとなるのは「国籍」というのが世界のスタンダードです。私、緒方林太郎は日本人、猫ひろしさんはカンボジア人、本件についてはそれ以上でもそれ以下でもありません。


 その上で再帰化の話ですが、国籍法で再帰化の規定があるのは知っています。帰化する前が日本人だった方が再帰化する際は国籍法で非常に要件が緩和されています。細かい法令は書きませんが、日本に住所を有し、かつ素行が善良であれば、法務大臣は再帰化を認めることができるということになっています。


 ここからは若干の感情論が入りますが、この再帰化については「逆のケース」を考える必要があります。幾つかの仮定のケースを挙げると、帰化した上でサッカー日本代表として活躍したがサッカーを引退した後、再度日本国籍を放棄して元の国籍に戻ることをどう思うか、角界で親方になるために帰化した方が日本相撲協会を退職した後、元の国籍に戻ることをどう思うか、それと同じことなのです。日本人として、そういうことが生じたらあまり良い思いはしないでしょう。それはカンボジア人だって同じことです。日本でそれをやられたら嫌だけど、カンボジアでそれをやるのはOKというのは理屈として立ちません。


 それを踏まえ、国籍法上は「できる」規定ですので、最後は法務大臣の裁量があります。カンボジアの国の方々の気持ちを十分に慮れば、再帰化を認めることには慎重たるべきではないかというのが私の率直な感想です。


 以上、纏めると、「かつて同じ日本人であった者として、日系一世カンボジア人として活躍する猫ひろしさんに心からのエールを送り、オリンピックでの上位ゴールを期待する。また、カンボジア人としてこれからの母国の発展、更には日・カンボジアの友好関係に精一杯ご尽力いただきたい。」ということです。ここに「批判」とか「激怒」みたいな要素は一つもありません。


 最後に一つ書いておくと、「日本が二重国籍を認める国だったら本件はどうだったかな」という気がします。まあ、それはそれで複雑ですけどね。