憲法審査会で発言しました(ココ )。お題は「国民投票の年齢制限を18歳に下げることと、法教育、憲法教育との関係」でした。


 基本的に憲法や政治体制について学校教育で教えることについては、私はとても前向きです。どんどんやればいいと思います。ただし、そういう教育を強化することによって、国民投票の年齢制限を18歳に下げるということに繋がるかというとそれは違うでしょう。それは全然絡み合わないものです。現在、18-20歳の間に投票権を有するために習得することが想定されていることが、中学校、高校で憲法教育、法教育を行うことによってカバーされる関係にあるかというとそうではありません。20歳で投票権を有するというのはそういった教育とは切り離されており、どちらかと言えば人間としての成熟を20歳という年齢に見ているからだと判断するのが正当でしょう。


 あと、私が言ったのは「なかなか、高校生は憲法、政治体制みたいなものを勉強しようとする動機に乏しい」ということです。現在の高校の社会ではたしかに倫理、現代社会、政治経済といった公民系の科目は必修ではありますが、大学受験の主たる受験科目ではありません。私が福岡県立東筑高校に在籍していた際は、これらの科目は1年生の頃に履修した上で、高校2年からは大学受験向けに世界史、日本史、地理から2科目を選択することになっていました(私は世界史、地理)。


 私は世界史と地理を選択したことで色々とよかったことがたくさんありますが、今、思い直してみれば何故、公民系の科目の扱いがあんなに低かったのかが不思議でなりません。目指そうとしているのが法学部、経済学部であれば公民系の科目を学んだうえでそれらの学部に入っていくのが筋論だということもできるかもしれません。パラレルの関係があるかどうかは微妙ですが、医学部に入るのに生物を勉強していないという理系学生と似たものを感じます。


 しかも、今の高校のカリキュラムや大学受験の出題傾向では世界史も日本史も現代史については殆ど取り上げません。理由は「順次教えていっていると、現代史まで辿り着かないから」ということがよく言われます。その上で公民系の現代社会や政治経済があまり力が入らないということになると、日本の高校生は歴史についても、制度・仕組みについても現代の事は殆ど学ばずに大学に進学していくということになります。たしかに現代史はその内容において、非常に思想色が絡むので教えにくいということで暗黙の裡に目を閉ざしているのかもしれませんが、これは日本の教育の中で残念な部分です。


 「現代詩まで辿り着かない」というのは私には教えなくするための方便に聞こえます。古代、中世の部分を少し削れば、確実に辿り着けるわけです。高校の教育体制と大学受験の出題傾向が相俟って変わっていけばいいだけの話です。決して「アケメネス朝ペルシャはキュロス2世によって創始された」、「1526年のパーニーパットの戦いでデリースルタン朝最後の王朝ロディー朝が滅び、ムガール帝国の足掛かりとなった」ことを知らなくていいとは言いませんが、だからと言って現代史、現代政治・経済を「辿り着かなかった」ことを正当化していいはずもありません。


 憲法を始めとする政治経済を高校で教えることはとても大事なことであり、もっと推進されるべきだと思います。そのためには高校のカリキュラムと大学受験の科目設定、出題傾向、すべてを変えていかなくてはなりません。こういうふうに言うと、「受験というエサで釣って教えないといけないのか」という批判があると思います。それはたしかに正当なご指摘なのですが、今、私が世界史、地理を勉強していてよかったと思えるのは、やはり受験があったからであり、政治経済についても手法自体はそれでいいのではないかと感じています。インセンティブのないところでなかなか学習は進みませんから。


 最後のところはちょっと雑な閉め方になりました。憲法審査会の発言を紹介するつもりが、高校教育の話になってしまいました。