ちょっと通なテーマですけども、子の連れ去りに関するハーグ条約関係です(内容についてはココ )。


 内容をとても雑に説明すると、子どもが外国に連れ去られてしまった場合、まずは一旦、これまで住んでいたところに戻ってから今後のことを考えるようにしようということです。具体的には、アメリカ人男性と日本人女性が結婚して渡米した、しかし、種々の事情により生活がうまく行かなくなってしまった、そこで日本人女性が子供と共に日本に戻ってしまった、そういう事例への対処が典型的なものです(逆も事例もありますし、色々なバラエティがあります。)。


 日本はこれまでこの条約を締結していませんでしたが、上記のようなケースで、アメリカで連れ去られたと主張する米国人から連邦議会に圧力がかかり、それがきっかけとなって日本も検討を始めたということです。


 今、法案が党の部門会議に上がってきています。私が指摘した件についてだけ紹介しておきます。


● この条約は遡及しない。

 当たり前の事なのですが、この条約は遡及効がありません。つまり、条約締結時までの連れ去り事例については、条約が発効しても何らの対象にはなりません。つまり、上記で書いたようなアメリカ人のケースについては対象にはなりませんので、日本人女性と子供が一旦アメリカに戻らなくてはならないということにはなりません。あくまでも、これから生じうる事例についてのみ適用があります。

 ただ、この条約では連れ去り状態の解消とは別に、面会の権利についても規定があります。これは条約の発効時からすぐに適用があります。これをもって「面会については遡及効がある」と言っている人もいますが、これは違います。連れ去りという条約上の違法行為は連れ去った時点で完結しているので、そこに遡及することはないのですけども、面会の権利というのは条約が発効した直後から侵害されている状態になるので、当然適用がある、それだけのことです。簡単に言うと、「連れ去り」は行為であり、「面会できない」というのは状態なので、条約が締結された段階での違いが生じるということです。

 ただ、何となく世論の流れを見ていると、条約が発効すれば、これまで生じた連れ去り事例についても何らかの救済が図られるのではないかという淡い期待感があるように思います。たしかに松本外相(当時)は国会答弁で「既存案件についても取り組まなくてはならない」という答弁はしていますが、それについて質問してみたら、この条約で可能となる面会の権利についての手当てに加え、例えば情報提供とか通常の領事業務でできる範囲で最大限の対応をするということでしたので、連れ去り状態そのものの解消にはなりません(それでも面会の権利のところの改善がある分は大きな差ですが)。

 その世論の温度感と条約の厳格な世界の間にはちょっと差がある、その差が明らかになってくるにつれ、「こんなはずじゃなかった」的な反応が出てくるのではないかと気になっています。


● 日本の窓口が外務省で大丈夫か。

 この条約では各国に中央当局という名前の窓口部局を設ける必要があります。連れ去られた事例の相談等を受け付ける場所です。日本では外務省です。それ自体が悪いということではないのですが、元外務省員としては少し気になります。

 外務省にいた時代は全然気になりませんでしたが、一旦外に出て、かつ地元北九州に戻ってみると、外務省というのはとてもとても国民からは遠い存在だということに気づかされます。なかなか電話するのですら躊躇われるくらい遠い場所に見えます。国民の99%の方は「よく分からないけど、我々とは関係のない人達」と思っておられるでしょう。

 そんな外務省に中央当局を設けても、電話するだけで結構なハードルだと思います。ましてや、そこでの対応はぞんざいな口調で「もしもし、外務省ですけど」と出てくると、ちょっと気弱な思いをお持ちの方なら、「ああ・・・、ダメだ。止めよう。」と思って電話を切ってしまうかもしれません。特に昔、外部からの電話の応対で上司から何度か怒られたことのある私ですから尚更そう思います(良い子ぶらない観点から、ここは明確に書いておきます。)。

 困っている方が気軽に電話できる環境整備の観点から、ワンクッション何か別の組織を入れた方がいいのではないかなと思ったりしています。


● 返還拒否事由は十分に検討されているか。

 連れ去りがあっても、これまで住んでいた所に子どもを戻さなくていい返還拒否事由というのが条約に書き込まれています。連れ去ってから既に1年以上経っている、返還を求める人間がそもそも監護権を行使していなかったとか、子が返還を拒否しているとか、色々なことがあります(別途、返還事由として子が16歳未満であるということが書かれているので、反対解釈で16歳以上であれば返還しなくていいということだと思います。)。

 その中に「常居所地国に子を返還することによって、子の心身に害悪を及ぼし、又はその他子を耐え難い状況に置くこととなる重大な危険があること」ということが書いてあります。簡単に言えば、「子どもを返還したら、子どもに色々な不利益な状態になる場合」ということです。これだけだとよく分からないので、考慮材料として、(上記のアメリカ人男性と日本人女性のケースで言うと)返還したら父親が子に暴力を振るう、父親がアル中だった、種々の事情で母親が同行できないといった事例が列挙されています。

 その中に「子の面前で申立人(アメリカ人父)が相手方(日本人母)に暴力を振るう場合等」と書いてありました。この「子の面前で」というのがちょっと引っかかりました。私から「例えば、子の前ではとても善良なパパなんだけど、夫婦二人になるとDVおじさんに変身するケースはどうか」と聞いてみました。子の事を中心に考える条約なので、子の面前での父から母へのDVが返還拒否事由として列挙されるのは分かりますが、明示的に「子の面前で」と考慮材料に書かれてしまうと、「子の面前で殴らなければいいんだろ」と変に悪用されないかなと気になったからです。

 まあ、お答は「そのケースでは、母がアメリカに同行して戻ることが難しいでしょうから、それで返還拒否事由として読み込むのだと思います。」ということでした。それはそれで納得したような、しなかったような感じですけど、ともかく個人的な思いとしては返還拒否事由はありとあらゆる「看過しがたいケース」を想定しながら、できるだけそれを読み込む方向で検討を進めるべきだと思いますね。


 あと、別の議員の指摘で「なるほど」と思ったのは、日本で管轄権を有する家庭裁判所を東京と大阪に集中させることについて、それだと遠隔地の人、例えば米軍人と日本人女性のケースが多い沖縄の人にとっては不利ではないかといったことでした。管轄権の集中の話は、専門とする法曹関係者の人的リソースの問題とか色々ありますけども、たしかに沖縄のような地域限定的な課題のありうる場所には、個別の配慮が必要だなと思いました。


 今回のエントリーは前提をあまり細かく書かないまま、技術論的なことを書いたので基礎的な知識のない方には分かりにくいかもしれません。お詫びいたします。