カリフォルニアの最南端サンディエゴに来ました。もうメキシコはすぐのところです。やっぱり雰囲気は相当にヒスパニックです。街全体がちょっと尿臭いのもかつてのパリを思い出して、これも「ちょっとヨーロピアンな文化を感じるぜ」と思います。一つ特筆されるのは、アジア系の比率がガクンと下がったということです。移民の行き先としてはメジャーではなかったのでしょう。


 元々はメキシコ領だったのを米墨戦争で割譲した領土(これ自体はワイオミングの一部まで含むくらいかなり広い)の中でも一番メキシコに近いところになります。当時の歴史を見てみると、まあ結構アメリカ合衆国という国も領土拡大に際しては無茶をやって勢力拡大をやったのだなということが分かります。マニフェスト・デスティニーと言えば格好いいですし、啓蒙主義の一端と言えばそれも格好いいですけど、きっとそういうことではなかっただろうということは容易に分かります。


 サンディエゴは全体として海軍の街です。経済の25%を軍関係に依存しているということでした。まあ、太平洋艦隊を擁し、かつては海軍の航空部隊もいました(トップガンの舞台でした)。「軍があるから今のサンディエゴがある。特に9.11以降、軍に対する住民の意識、尊敬の念が高まった。」と地元選出連邦議会議員は言っていました。街の雰囲気を見る限り、そうなんだろうと思います。私は日本でも自衛官の方が制服を着て街中を歩いていることが当たり前の世の中であってほしいと思います。それに尊敬の念を払えないのはおかしなことです。


 そんな中、軍の存在に対する反発みたいなものはあるのかということですが、軍のプレゼンスそのものを否定する方向での言論というのは、この街には皆無です。では、軍と住民との関係で何の問題もないのかというとそうでもないようです。軍を訪問した時、地元の連邦議会議員と話した時、結構しつこく強調していたのが「地域住民とは仲良くするようにしています」ということでした。一緒に地域の人と掃除をする、なんか日本的だなあと思いましたけど、アメリカでも無縁な話ではないようです。あと、例えば軍病院の建設のために土地の収用でこじれているみたいな話もありました(ただ、それは軍だからこじれているのではなく、純粋にそこに病院を作ることへの反対のようでしたが。)。あとは軍は経費削減の視点から、そして地域コミュニティとの関係構築の観点から、非常に「エコ」な軍を目指していることを強調されました。「電気の使用量を減らしている」、「ソーラーパネルを車庫にたくさんつけて、年16万ドル浮かせている」、「どれだけ電気の使用量を減らせたかを艦船毎に競わせている」、「街で停電になった時、軍は電力会社からの電気の調達を止め、市民に迷惑を掛けないようにした」、「ゴミをエネルギーに変えるプロジェクトを検討している」・・・、こんな話がサンディエゴ海軍基地にもありました。軍とエコはあまり馴染まないように思うんですけどね。そういえば、誰かが国会で「環境に優しい武器、装備」みたいなことを言っていたことを思い出しました。さすがにそこまで行くとアホだと思います。


 サンディエゴ海軍基地には36000人の軍人、民間人が勤務しており、太平洋艦隊の母港になっています。陸地が2000エーカー以上、海の部分が326エーカーでして、13の埠頭に33隻の軍艦が停泊できるようになっていると説明を受けました。軍の敷地内だけで4000人近くが住んでいます。元々は1922年に設置された基地で、太平洋戦争の時には軍艦の修理等を行っていました。


 今回はイージス艦のチャンセラーズヴィル号と、病院船マーシー号を視察しました(マーシー号については別エントリー)。チャンセラーズヴィル号はトモダチ作戦に大きくかかわった艦船です。全然どうでもいいことなのですが、たしかチャンセラーズヴィルというのは南北戦争の激戦地でして、しかも南軍が勝った場所なんですけどね。


 チャンセラーズヴィル号は東日本大震災が起きた時、空母ロナルド・レーガンと共に日本近海にいたため、すぐに駆けつけていただきました。艦長からは「東北沿岸から少し距離がある処にいたのだが、ガレキがどんどん流れてくるのを見て、尋常な事態でないことをすぐに認識した。艦内の雰囲気は『俺達はやるべきだ』という感じであり、すぐにマインド・セッティングを変えて震災対応に向かった。」というお話があり胸が熱くなりました。チャンセラーズヴィル号は(1)物資の供給、(2)ロナルド・レーガンに関する航空情報の整理と調整、(3)偵察と救出ということだったそうです。物資の供給については、兵士が自分の持っている物資を自発的に拠出したり、館内の売店で自腹で買ったものを拠出したりして、ともかくあるものをすべてかき集めて届けたと話していただきました。また、偵察と救出に行ったパイロットは悪天候で視界が悪いのにもかかわらず長時間のフライトに文句を言うこともなく、かつ、すべてのパイロットが艦に戻ってきたら艦内放送で今何が起こっているかを報告して、艦内の士気を高めたとのことです


 大震災後、10日後には近海に居た14隻の艦船が集結していただいて、多くの活動に従事してくれました。今回、チャンセラーズヴィル号の艦長と話していても、「貢献できて光栄だ」というコメントしかなく自慢げなところは全くありませんでした。その掛け値なき心意気に心打たれました。この米軍のトモダチ作戦を私達は絶対に忘れてはならないと思いました。地元選出の連邦議会議員と話していても、「日本で色々と米軍との関係で緊張関係があることは承知している。トモダチ作戦を通じて日本との友情と相互理解が進むことを期待している」という話がありました。私もそう思いますが、たしかトモダチ作戦の後に、某県の新聞に「トモダチ作戦で世話になったからといって、米軍に甘い顔はしない」みたいな社説が掲載されていました。歴史的な経緯は分かりますが、「そういうこと言うなよ、こういう時に」ととても残念になったことを思い出します


 地元連邦議会議員と話していた際、パンフレットに「bringing our troops home」というスローガンを掲げていたので、私からは「気持ちは十分過ぎるくらい分かる。ただ、ともすればアメリカの国内には『外国からすべて手を引こう』みたいな論調を見ることもあり、どの程度までアメリカは国際社会へのコミットメントを下げるのかについてはとても関心がある。極論かもしれないが、アメリカには常に世界に関与し、理想を語ってほしい。理想を語らなくなって国内に引きこもってしまったらアメリカの魅力は激減し、単なる巨人でしかない。」といった話をしました。通じたかどうかは分かりませんが。


● チャンセラーズヴィル号
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● 艦長との写真
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● 艦橋にて

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● ブリーフィング中

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● 寝室
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● 食堂
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● (これはチャンセラーズヴィル号とは関係ありませんが)街中にある退役した空母ミッドウェー


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