正月早々、タリバーンがカタールに事務所を設けたというニュースを見ました。まあ、イスラム主義の彼ら的には正月という発想は少ないですから、偶然の一致なのでしょうが。


 そこで思い出したのが、昔、タリバーンがアフガニスタンを支配していた時代のことです。当時は「アフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate of Afghanistan)」でした。このタリバーン政権を政府承認している国は殆どなくて、パキスタン+サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦の3つだけでした(政府承認制度を取っていない国について言えば、タリバーンと外交団の交換等、一定の外交関係を有している国はありませんでした。)。パキスタンを除くこれらアラブの3ヶ国については、カブールに大使館を持っている国はなかったと記憶しています。単にタリバーン政権の大使館がリヤド、アブダビ、クウェートにあったという意味での外交関係でした。最初は「大使」を配置していたような気もしますが、基本的には「臨時代理大使(charge d'affaire)」をトップとする体制でした。


 私にはよく分からないところがありましたが、サウジアラビアはある瞬間までタリバーンと相当な繋がりを持ち、支援をしていました。10数年前のある時点で、厳格なワッハービズムをアフガニスタンで広めるツールとしてタリバーンと関係を持っていたことがあります。政権中枢にいる人物(あえて書きません)がイスラム主義に非常に親近感を持ち、そこがタリバーンの金の出所ではないかと個人的に疑っていたことがあります。


 今回は何故、カタールなのかなと色々と考えます。こういう事務所を設けるには、その国の時の政権と合意がなくてはならないわけですから、カタールのアル・サーニ家と折り合ったということですね。アル・サーニ家は何を目的としているんですかね。最近、中東情勢から離れているのでよく分かりませんが、ただ直感的に「カタールくらいがいいかも」という気になるのも事実です。勿論、アメリカとも調整がついています。


 まあ、こういう事務所を通じてタリバーンと対話を持とうとするのであれば、パキスタンではダメですから、少しパキスタンから離れた所に対話の窓を設けるというのは至極当然のことです。アフガニスタン情勢を考える時にはどうしても、パキスタンを無視することは出来ませんが、陰に陽に存在する同国の影響、特に情報機関ISIから物理的に離れないと、この手の対話はその圧力を逃れることはできません。


 アフガニスタンのハミード・カルザイ大統領は面白くないでしょう。あたかも「おまえじゃダメだ」と言われたかのような思いを持っているでしょう。しかし、これは仕方のないことです。カルザイ大統領は既に信頼度が下がっており、タリバーンに何らの影響力を行使できる立場にないでしょう。政治的に見ても、もはやタリバーンとの直接対話を何処かでやらざるを得ない状況にあると思います。私は少し先を見て、「カルザイ後」のアフガニスタンの政治体制というのを真摯に考えていい時に来ていると見ています。


 ただ、対話の窓が設けられたからといって、すぐにこれで何かが進むわけではありません。まず、誰がカタール事務所に入るかということがポイントです。報道ではオマル師側近のタイエブ・アガが所長ではないかと書いてあります。権限のない人間が来ては、単なる連絡機関にしかなりませんから、ある程度タリバーン内部で力のある人間が来ることが大切です。


 あと、誤解してはいけないのは、私は「穏健派タリバーン」、「急進派タリバーン」というのが区分可能で、「穏健派を取り込もう」というアイデアにはとても違和感があります。理想論としてはそうなのでしょうけども、これまでそういうふうにはならなかったし、これからもそういうふうにはならないと思います。なので、仮に上記の「カルザイ後」を考える時も「急進派を排除し、穏健派タリバーンを取り込んだ上での政治体制」みたいな夢物語は考えない方がいいでしょう。


 まあ、すべてはこれからです。日本も折角ですから、ドーハでタリバーン事務所との接点を持つといいと思います。細かくは書けませんが、昔から日本はアフガン情勢において、各勢力と世界のあちこちで接点を持っていました。その報告を逐一目にしていたのでよく分かります。是非、頑張ってほしいと思うばかりです。