人の親になって、自分の親のことを考えます。


 私の両親は極めて普通でして、両方とも熊本県の出身です。その出自は少なくとも裕福な家庭では全くありません。父はお金がなかったため大学に進むことができず、北九州市でサラリーマンをやっていました。そんな両親から「勉強しろ」と言われることは一度たりともありませんでした。中高時代、三者面談での母の役割と言えば、ひたすら先生に「うちの息子が迷惑掛けてすいません」と謝ることばかり。成績はともかくとして、ちょっとした素行の悪さがあったのでしょう。


 そんな私が両親に感謝すること。それは「心おきなく大学に出してくれたこと」です。当時、子どもが1人、東京の大学に出ると年間200万円くらい掛かりました。私と弟で8年間、1600万円です。その負担は既に年収が減り始めて、およそ400万円前後の家庭には決して軽いものではありませんでした。結局、周囲の社宅の方々が40歳前後で一戸建てに引っ越していく中、一戸建てを買うための頭金が出せなかった両親の住まいは今でも持ち家ではありません。


 私は高校3年生の頃、両親に「貸与じゃなくて給付の奨学金取ろうか?福岡県で1名であっても取ってくる自信があるぞ。重複してもいいものもあるから、ちょっと頑張れば合わせて月10万くらいの奨学金は取ってくるぞ。」と話したことがあります。当時は模試でそこそこの成績でしたから、余程の強豪が来ない限りは「福岡県で1名」でも勝ち取れる自信がありました。しかし、父は「そんな余計なことはしなくていい。そういうものはもっともっと必要な人がいるのだから、そのチャンスを奪ってはいけない。」と静かに答えました。今でも忘れられない一言です。


 そんな愚直に生きてきた両親。私も不惑が近くなってくると、両親の恩を切々と感じます。そろそろ親孝行する歳になってきたのかなと思います。


 ブログに書くような話ではないかもしれませんが、気持ちの整理も含めて書き残しておきます。