TPPに関する党内議論が終わりました。内容はご承知のとおりです。内容についての論評は次回に譲り、今回は党内議論で感じたことを素直に述べていきます。


 まず、「いやぁ、『独自の戦い』の局面が結構あったよなあ。」ということです。党の最終取り纏めにも慎重派が多かったことの記述があります。最終的には発言者ベースで「3.5:6.5」~「4:6」くらいかなと思いますが、最初は1時間半の会議で積極派の発言は私一人みたいなことがありました(しかも、私の発言時は野次付きのことが多かった)。ともかく推進派と言われる人の出席と発言が少なかったのは事実です。多分、政務三役等に入っているため声を出せない人を含めると、まあ「党内勢力的には半々かな」とは思いますが、こういう会合の時に「声なき声」などないのです。発言しない=0(ゼロ)なのです。そして、慎重派の方々からあった「推進派は数が少ないじゃないか。」という指摘に悔しい思いをしたことが何度もあります。もっと正直に言うと、同僚議員のブログ等を見ていると「私は推進派です。」みたいなことを書いている人がそれなりにいます。「そこまでカミング・アウトして宣伝するなら、会合に来て発言してくれよ。地元向けのメッセージだけでやっても意味ないのよ。」とぼやいたこと一度ではありません。だからこそ、(数的には少なかったものの)歩調を合わせることができた諸先輩や同僚議員の存在が嬉しかったものです。


 では、何故こういう現象になるかというと、(慎重派の人は「違う」と主張するかもしれませんが)やはり「生産者利益は凝縮し、消費者利益は拡散する」という古くからのテーゼが当てはまると思います。TPPは農業以外のことがテーマとして大きいというのは事実ですし、私もそういう信念を持っていますが、やはり原動力となったのは農業だったと思います。結局、自由貿易のメリットというのは広く薄くで、デメリットは特定の方に集約するというのはウルグアイ・ラウンドの時も感じましたが、今回の議論を通じても、どうしてもその感じが拭えませんでした。一般的に(あくまでも一般論です)農業を主たる生計とする方が多い地域の議員が慎重派になり、工業地域、商業地域を選挙区とする議員が推進派であるという傾向は、統計上、相当に有意な数字を弾き出すでしょう。何度も「農業対工業・サービス業の構図ではない」という話を聞きました。「そうでありたい」というふうに私は思いますが、結果として党内議論はそういう構図になっていたように思います。


 その結果として、推進派は執念が足らなかったのです。慎重派は本当に執念がありました。本当に称賛に値する執念でした。そこは素直に頭が下がるし、主張は違えど「あっぱれ」だと思いました。


 私は慎重派の意見も傾聴し、尊重したつもりですが、あえて、一言苦言を呈すれば「ちょっと振る舞いが如何なものか?」と思うことが何度かありました。党の会合で推進派が慎重派の議論を遮るようなことをやるとガミガミ抗議が来ていましたが、慎重派の推進派への野次は飛ばし放題みたいなことが何度かありました。それを見ながら「某国と日本との二国間関係みたいだよなぁ」と苦笑いしたものです。あと、外部有識者を招聘して話を聞いているのに詰問調や嘲笑になって、明らかに相手が気分を害してしまったケースがありました。前者の方は単なる党内マネージメントなので最後は我慢すればいい話ですが、後者は政権与党としての姿勢や常識が問われると痛感しました。一部の議員の非常識な立ち振る舞いが、党のプレスティージュを下げてしまったようで残念でなりません。ルールは単純なのですけどね、「話をする時は手を挙げる。」、まずはこれができるだけで全然違うんですよね。ちなみにこういう現象は民主党だけではないことを付記しておきます。


 あと、今回のプロジェクト・チームの議論を通じて、色々な意味で国際通商に対するリテラシーが党内で格段に高まっていったことは事実ですが、常日頃からこれはやらなくてはならないのです。自由民主党という政党は、平素から通商問題を(農林水産業のみの視点からではありますが)きちんと勉強していて、その組織的な積み上げは相当なものがあります。私が外務省に居た時代の記憶では、少なくとも中川昭一、松岡利勝、谷津義男のお三方については、その知見は外国に交渉で出してもそのまま通用するレベルでした(だからこそ、今、このお三方が国会にいないのが残念です。)。民主党はこれまでそういう知見の積み上げの場が足りませんでした。外務部門会議でも、経済産業部門会議でも、農林水産部門会議でも、何となく「時折、思い出したように取り上げるイシュー」くらいでしかなく、私は何度か上の人に「通商問題を集中的に取り上げる場を設けましょう。」と話したことがあります。今度こそは実現するでしょう。そういう場がなかったから、今回、こんな短い時間でTPPを集中的に議論しなくてはならなかったことは反省しなくてはならないと思います。


 思うことはその他にもたくさんありますけど、裏話的なものは所詮は裏話ですので、これくらいにしておきます。次のエントリーで内容については書きます。