TPPだけに留まらないのですが、通商交渉をやる際には「情報公開」と「情報管理」の狭間でとても悩まされます。あまりギチギチと情報管理をやると「秘密交渉だ」とご批判を受けますし、そうでないと別の問題が起きます。今日はそういう狭間の話をしてみたいと思います。ただ、古い記憶を辿りながらですので、もしかしたら細かい事実関係に間違いがあるかもしれません。その点はご容赦下さい。なお、このエントリーの中に国家公務員法における秘密は存在しません。


 ウルグアイラウンドの最終盤である1993年、日本はコメのアクセス機会提供についてどうやって判断するかで苦悩していました。国内は勿論、市場開放大反対でした。そんな中、政府の一部では(現在の体制のような)ミニマム・アクセスの提供も念頭に置いていたと言われています。


 今のWTO協定では、協定前に輸入が存在しなかった産品についてはミニマム・アクセスの輸入枠を提供することを取り決めています。1986-88の平均国内消費量の3%からスタートして、毎年0.4%ずつ漸増し、6年後には5%まで引き上げるということです。既にこのフェーズは1995-2000年で終わったまま固定化されているので、WTO協定でミニマム・アクセスを提供した品目については5%のアクセス機会を出していることになっているはずです


 しかし、これらのやり取りが(私の記憶が正しければ)交渉最終盤に韓国の東亜日報にかなり正確にすっぱ抜かれました。たしか「日本としてはコメの部分開放はやむなしとの判断に至ったことを韓国に通報した」というのがそのまま出てしまったのです。それが国内にバックファイアーして、当時コメ自由化反対で盛り上がっていた国内に更に油を注いでしまい、結果として冷静な議論ができなくなります。ともかく「コメの自由化反対」のハードルが更に上がってしまうかたちとなり、ただのミニマム・アクセスでは国内世論が保たなくなっていきます。


 その結局、通常のミニマム・アクセスとは異なる特別なスキームを否が応でも選択せざるを得なくなりました。通常は上記のように3%→5%のアクセス機会を提供し、それを超える部分は高関税で保護するという体制です。しかし、日本に示されたのはアクセス機会は出すけど、それを超える部分は輸入なし、しかも、そういう特別扱いの対価として、ミニマム・アクセスは国内消費量の4%からスタートして、毎年0.8%ずつ漸増し、6年後には8%で打ち止めと加重されるという内容でした。そして、これを日本は受け入れました。当時は「コメの特別扱い、勝ち取る!」という感じだったように思います。


 ここでの大きな違いは、ミニマム・アクセス数量を超える部分が高関税か、輸入なしかということです。日本は後者を選択しました。しかし、実際にやってみると、ミニマム・アクセスを超える部分は高関税で守れば事実上輸入が生じないことが分かり、加重されたミニマム・アクセスは実は損だということに皆が気づきます(交渉に携わっていた人は最初から分かっていたはずですが、世論の波に勝てなかった。)。通常のミニマム・アクセスであれば、漸増した後の最後の姿でも国内消費量の5%で打ち止めにできたはずなのに、特別扱いを選んだが故にそれ以上のアクセスを要求されているのがおかしいから、特別扱いを放棄しようと日本が意を決したのはWTOができて数年経った1998年でした。そこから条約改正交渉、国会承認手続きをやって、日本が通常のミニマム・アクセス体制に合流したのは1999年の4月でした。1995年から発効していたWTOではアクセス数量の増加は着実に進んでおり、既にアクセスは4%からスタートして、0.8%×4年=3.2%分を上積んで7.2%にまで増えていました。これはこれで固定されてしまいました。


 この7.2%が、今のアクセス機会であって精米ベースで76.7万トンになります。日本はちょっと特殊な事情でこれを全量輸入しています(これはこれで問題が多いのですが、また別途。)。最初から、今のような通常のミニマム・アクセスを選んでいれば、現在は国内消費量の5%、53万トン程度だったはずです。世論がバック・ファイアーした結果、変な特別扱いへのこだわりをさせられたせいで、今、日本は2.2%分(7.2-5)に当たる23万トン以上(76.7-53)の加重なミニマムアクセス米を引き取らされています。


 今、農水省は米価維持の観点から色々と、時には「いかがなものか?」と思えるようなものも含め、供給圧力を下げる方策を採ろうとしていますが、この23万トンの圧力だけでも回避できれば、今の農政は遥かに楽になっていたでしょう。昔、お話しさせていただいた改革派農水官僚は「寄り道をしたせいでコメ改革は5年~10年遅れた」と言います。


 さて、ここまで書いて「何が悪かったのか」ということになります。引き取らなくてよかったはずのコメを引き取り、コメ改革も寄り道を強いられたこの結果の犯人は誰かということですが、答えは簡単で「話が漏れたこと」です。まあ、リークがあろうと無かろうと「特別扱い」を求めざるを得なかったのかもしれませんが、交渉の最終版でこういう記事が出たことが大きく影響していたことは否定できないと思います。


 これはリーク、情報管理の失敗で手痛い目に遭ったケースです。TPPでもちょっとしたハンドリングを間違えると、リアルなダメージが出ます。何でも情報開示すればいいというわけではないということを述べさせていただきました。