最近、色々なかたちで海の制度を再度学んでいるところです。どうも、このブログで震災関係の取り上げが少ないとお叱りを受けそうですけど、そちらも真面目にやっていないわけではありません。ご容赦ください。


 ある方と「沖ノ鳥島の『島』としての性質」について話していた時のことです。面白い指摘がありました。「国連海洋法条約上、島かどうかを判断するのは高潮時を基準とするけども、領海やEEZの基線となる点というのは低潮線から計ることになる。沖ノ鳥島は低潮時には周囲10キロ近い部分が海上に出てくる。そこが基線となることは言うまでもない。では、仮に沖ノ鳥島が国連海洋法条約上の『島』でないと仮定する場合、高潮時と低潮時の差分となる環礁部分はそもそも何なのか。」


【国連海洋法条約第百二十一条(島の制度)】

1. 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。

2. 3に定める場合を除くほか、島の領海、接続水域、排他的経済水域及び大陸棚は、他の領土に適用されるこの条約の規定に従って決定される。

3. 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。


【国連海洋法条約第五条(通常の基線)】

 この条約に別段の定めがある場合を除くほか、領海の幅を測定するための通常の基線は、沿岸国が公認する大縮尺海図に記載されている海岸の低潮線とする。


【第六条(礁)】

 環礁の上に所在する島又は裾礁を有する島については、領海の幅を測定するための基線は、沿岸国が公認する海図上に適当な記号で示される礁の海側の低潮線とする。


 「なるほどな」と思いました。たしかに、121条においては「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」を島としていますが、その島の範囲というのは低潮線から計るわけですから、その低潮時に水面に出る広大な部分を島と捉えることによって、よくありがちな「高潮時に70センチしか水面に出ないようなものは島とは言わない」という理屈に反駁する余地があるということです。「島」性の判断と「島」としての範囲を別個のものとして考えるということなのかなと思います。


 昔、英、アイルランド、デンマーク、アイスランドが領有権を主張したロックオール島という島があり、最終的には「岩」と位置付けられ、今では何処の国にも属さない岩として北大西洋にあります。ただ、このロックオール島ですけど、沖ノ鳥島とは違って海にポツンと出っ張っているだけなのです。ちょっと事情が違います。


 元々、私は以前書いたように「息長く、ずっとサンゴを栽培し続けて、低潮時にも水面に出るくらいまで頑張る」というのがいいのではないかと思っていますが、それに加えて、上記のような視点を取り入れてみるのはとても面白いと思いました。


 その時に重要なのは、島嶼国での慣行がどうなっているかです。沖ノ鳥島的な場所をたくさん持っている国が南太平洋やインド洋、カリブ海には結構あるはずです。逆にそういうところでの「島」性を否定されてしまうと、突然、EEZや大陸棚が小さくなってしまうことに激しく抵抗する国もあるでしょう。そこを上手くとらまえて連携を図ってみるというのは十分に意味あることでしょう。


 何ともテクニカルな話ですけども、ここで失敗するととんでもないEEZや大陸棚が消えてしまいかねませんので、ありとあらゆる知恵とエネルギーを投入して、日本のEEZや大陸棚を守っていかなくてはなりません。