幾つかの外国プレスを見ていたら、レバノンについて、2005年のラフィク・ハリリ元首相暗殺の首謀者の中にヒズボッラーのメンバー4人が含まれていたとして、国際法廷が逮捕状を出していました。


 ベイルート市内開発に関する汚職の噂が絶えなかったハリリ首相ではありましたが、ビジネス感覚を持って、内戦後のレバノンを立て直すのに貢献してきたことは事実でした。当時の親シリアのラフード大統領との対立、シリア軍撤退に関する動き等から、ハリリ首相の暗殺はシリアが背後にいるのではないかと言われていた時期もありました。正直なところ、私にはよく分かりません。


 今日の「すごい自慢」というのは、私はこのハリリ首相とヒズボッラーのトップのナスラッラー に会ったことがあるということです。2001年6月頃ではなかったかと記憶しています。私が会ったというよりも、上司が会った時に同席していただけではありますが、それでも貴重な体験でした。


 ハリリ首相は、元々はレバノンのシドン生まれで、中東のお金持ちによくありがちな「サウジアラビアでゼネコンをやって儲けた」人でした(ビン・ラーディン家も同様です。)。当時は首相在任時で、国民的人気も高く、これからのレバノンという国の将来を体現しているようなエネルギーを感じました。お金持ちらしく、迎えてくれた家は広く巨大でしたね。品のある方だったように記憶しています。ハリリが生きていたら、もう少し今のレバノンを巡るゴタゴタは違っていただろうなと残念でなりません。


 ハリリ首相に会ったことがあるのは、多分、結構いると思いますけども、ナスラッラーに会ったことがある人はそうそういないと思います。何処で会ったのかとか、どういう話をしたのかということは一切言えないわけですが(今でも同人の安全に関わりかねないため)、非常に厳重に警戒された環境で会いました。何故かよく分からなかったのは、「英語でExcellencyは不可。Eminenceという敬称を使うこと。」と言われたことでした。今でも意味がよく分かっていません。


 実はこの私が会った時を契機に日本政府とナスラッラーとの関係は完全に切れてしまいました。何故、切れたのかについても言えない部分が多いのですが、当方の事情によるとても残念でならない出来事があったわけです。ということで、最後にナスラッラーに会った日本政府関係者の一人は私だろうと思います。これは私的には「すごい自慢」になっています。


 レバノンという国は、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教と仕分けが1970年代から決まっています。単にそれは当時の人口構成がキリスト教の方が多かったからなのですが、今は多分、ムスリムの方が多いでしょう。しかし、この構図がずっと固まっているので、今のミッシェル・スライマン大統領(マロン派)は絶対にそのポストをサアド・ハリリ(イスラム)に譲ることはしません。これは党派を超えたレバノンの掟みたいになりつつあります。正確な国勢調査をやると、人口比の逆転がバレバレになってしまい、ポストを巡る争いが激しくなるので、国勢調査そのものが極めて危険であるというとても珍しい国です。


 それに加え、南レバノンではイスラエルからの攻撃とヒズボッラーの伸長、そして内政ではシリアの手出しと、国としてはとても脆弱な要素があります。綺麗な良い国なんですけどね。もうちょっと安定しないものかなと思います。日本にできることはあまりありませんけどね。