不信任案は否決されました。ここにはあまり書きませんでしたが、私は相当に悩みを持っていました。ただ、あまり悩みの内容については後付けになるだけなので書きません。ともかく、真摯な思いで悩みを持っていたということです。


 前回の代表選と同様に色々な方からの働きかけがありました。どうも、私はいわゆるグループに属していないためか「中間派」に見えるらしいです。この「グループに属していない」ということについて、時折「一言居士だ」とか言われるのですけども、事実はもっと簡単で「そもそも、どのグループからも殆ど誘われないだけ」なのです。


 なお、この働きかけについて非常に大雑把に纏めると、不信任案賛成の方は情に厚く、イメージとしては「貴様と俺とは同期の桜」的なものを想像いただければいいと思います。逆に不信任案反対の方は理詰めで「如何にこの不信任案が間違っているか」を懇々と説かれました。この間、頂いた様々な説得については逐一尤もなものばかりであり、私のような者に勿体ないくらいだと今でも申し訳なくなります。


 そういう背景もあり、私は代議士会は議員会館のテレビで見ていました。最後まで自分で悩んで自分で決断しようと思ったが故に、あまり同僚議員のたくさん居る場所に足が向かなかったということです。「党の代議士会に行かないとはけしからん」というご批判は甘受いたします。


 さて、そんな代議士会での総理の「復興・原発の対応に目処がついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいく」という発言を聞いた瞬間に私はあることがピンと来て、その後のマスコミ対応を見て、もう一つピンと来るものがありました。


 それは「ああ、この得体の知れぬ表現で融通無碍に切り抜けていこうとしているのだろうけど、世の中、そんなに甘くは出来ていない」ということをすぐに思い浮かべました。先の参議院選挙の後のエントリー にも書きましたが、「自分の発言を解説する段階で負け」なのです。この後、また、「復興・原発の対応」、「目処」、「責任を引き継ぐ」といったキーワードの意味を説明するようなプロセスに入るのは危険だぞ、とすぐに思いました。


 そして、その後、すぐにメディアは「総理、辞任を示唆」とテロップを流しました。私は発言を聞く限り、「そんなこと言ったかな?」と訝しげに思いましたけども、ただ、もうそのテロップが流れ、その方向で報道がなされる以上はそれで流れが出来てしまうということは確実です。メディア側に「辞任に追い込みたい」という意思があったのか、それともあの文脈でああいう発言をすれば常識的には「辞任を示唆」と受け止められるのかは微妙な判断ですが、いずれにせよ、メディアがそう決め打ちした以上は世論はそう流れてしまうわけです。


 結局、上記の直感は概ね当たりました。最終的に問われたのは「メディアを通じた世論とのコミュニケーション力」です。自分の発言が①メディアの人にどう受け止められ、②それが実際にどう報じられ、③それを見聞きした人がどう感じるか、という3つのフェーズをどう考えていたのかが問われているのだと思います。メディアがこれだけ発達した世の中では「自分の発言の解説」など意味がないのですね。


 あと、もう一つだけ付け加えれば、私は今回の一連の出来事が「野党の出してきた不信任案」を媒介として繰り広げられたことに不満があります。そもそも、こんなものは党内の両院議員総会で処理すべきものです。不信任案というのは平場の最たるもので、いきなりそこで党内のガチンコの踏み絵を見世物小屋のように踏まされることになっていたら、それがとても辛い議員はたくさんいました。党内のプロセスを尽くさず、両院議員総会回避という弥縫策で党運営がまともにできるとは思えません。これまでやってきた、採決の際の強制差し替えみたいなものの延長なんだろうと思います。これから復興財源としての増税の議論が出てくるでしょう。党内では半数以上が反対しているように見えます。それをまた議論回避型の弥縫策でやることには大反対です。


 話が飛びますけども、私は復興財源としての消費税増税については、関係国務大臣 vs 増税反対派が徹頭徹尾、オープンエンドで、かつ平場で議論する場を持つべきだと思います(最近、勝手に「朝まで生民主党」と命名して、少し売り込んでいるのですが。)。なお、理詰めで議論すれば、私は国務大臣側が勝てると思います。


 まあ、色々な綯交ぜの思いを吐き出しました。まだ、吐き出し不足のところもありますけども、本日はこの程度にしておきます。