3週間くらい前にこのブログでドミニク・ストロスカーンについて書いたら、その後一躍有名人になってしまいました。奥さんがアンヌ・サンクレールという有名な元キャスターでして、彼女が必死に擁護する姿がとても印象的でした。


 まあ、IMF専務理事の後釜とか、そもそもなんでシャワーを浴びている時に部屋の掃除の人がいたのだろうかといった疑問とか、思うことはたくさんあるのですけども、幾つかのアングロサクソン系の記事を読んでいて面白いと感じたことがありました。


 それは「そもそも、フランス人はこういうことに社会全体が寛容過ぎて、ストロスカーンの変な性癖を社会がチェックすることができなかったのではないか。」という論調が英米の新聞で幾つか散見されたことです。たしかにフランスでは「la vie privee(私生活)」の範囲が相対的に広いというのは事実です。有名なのはミッテラン大統領の隠し子ネタです。大統領就任後、マスコミがそのネタを振ったら「Et alors?(それが何か?)」と答えて、それで終わったというのは有名な話です。もう一つ例を挙げると、以前、法務大臣をやっていたラシダ・ダティが非嫡出子を生んだ際、父親は誰なのかということが盛り上がりかけたことがありますが、ダティが「私の私生活は結構複雑でして、あまり追わないで。」みたいなコメントをしてからは、あまり盛り上がりませんでした。


 これらの話は日本やアメリカだったら、これでもかと言うくらい追いかけられるネタのはずなのです。「元々ストロスカーンが英米系だったら、これまでの立ち振る舞いの段階で既に社会から弾き飛ばされていたはず」という論調を見ましたが、多分事実でしょう。


 あまり細かく考えたことはありませんが、日本で言う「公」又は「公共」、アングロサクソンで言う「パブリック(public)」、フランスで言う「ピュブリーク(publique)」の射程は相当に異なっているのではないかと思います。とても情緒的な言い方ですが、日本では「公的なもの」が先にありきで残りが私的世界であるように感じる一方、フランスだと「私的なもの」が先にありきで残りが公的なものであるように感じました(違うご意見の方も多いでしょうが。)。


 まあ、たしかに「人の色恋沙汰に立ち入っちゃいかんよ」という領域があるように昔から感じていました。それが英米からすると、暗黙の許容だったり、秘密主義だったり、色々な言われ方をするのでしょう。ある新聞には「フランスでは異性関係が盛んなことが政治家としてのポジティブな評価になるのではないか」とまで書かれていました。さすがにそこまで来ると、私にはよく分かりません。


 仮にストロスカーンの罪状がすべて真実であるとする場合、それはきちんと償われなくてはならないものです。その大前提の下、「政治家の異性関係」について色々と考えさせられるテーマではありました。