私が言うと嫌味になるので、あまり言いたくないのですが、日本の政治システムって内向きだよなといつも思います。その典型例が「幾つかの閣僚や政務ポストは英語の素養が確実に求められるのに、そうなってない」ことを慨嘆しています。


 まず、外務省の政務三役は英語が出来ないとかなりキツいでしょう。ある外務官僚が「英語でのスピーチを聞いていて、その場から逃げだしたくなるような政務三役を経験したよ。正直、国際会議の場でかなり悲しかった。」と話していました。


今、途上国の外相クラスは皆、その国のスーパーエリートなのでほぼ間違いなく英語を話します。例えば、私が住んでいたセネガルの外相は間違いなく英語とフランス語を話しますし、仮に英語ができなくても、世界のすべての外相は何らかの国連公用語を話します。


 もっと言えば、経済産業、財務、金融、農林水産くらいまでは外国との接点がとても多いので、政務三役レベルで(全員でなくても少なくとも一部は)英語の素養があることが本来は必要です。現在は日本の代表団だけが通訳を連れていって、ブースと周波数を特別に借りて、特別に日本の代表団だけ日本語でプレゼンすることを認めてもらっているケースが結構あります。私が外務省でWTOを担当していた際、閣僚会合である日本の閣僚が突然大きな声で日本語でプレゼンをし始め、その場の「なんだ、こりゃ?」という雰囲気にいたたまれなくなったことがあります(会議場にいるすべての出席者は、その通訳を聞くためだけにイヤホンを付けなくてはならないのですね。)。あと、「元アメリカ議会立法補佐官」という肩書を持つ某省副大臣の国際会議での英語でのプレゼンを聞いて、その余りの残念さに逃げ出したくなったこともあります。今でも「あれで立法を補佐できたのかなぁ」と疑問でならないわけですが・・・。


 党派を問わず、こういう現象が日本の外交の現状なのです。とてもとても内向きなものを感じます。というか「外なるもの」にあまり目が向きません。一方で若い世代には相当程度、英語を話す人が増えてきています。あと少し待てば日本の政界の内向き度も変わるかな、と期待するばかりです。


 ちなみに余談ですが、外務省は英語のできる政治家を嫌う傾向があります。それは「振り付けに乗ってくれないから」です。ある外務官僚が、英語の良くできる官房長官を評して「英語が出来るから、外国の要人に勝手なこと言うんだよ。迷惑だよな。」と言っていたことを思い出します。もっと強烈なケースでは、振り付けにないことを言われたくないから強制的に通訳官を付けたこともあります。通訳官を入れると、色々な意味で会談の(お役所としての)ペースセットができるのですね。


 まあ、生半可な英語力で出ていかれるのも迷惑だというのもたしかに事実です。ある政務三役が国際会議で「私はサービス貿易交渉について話したい」という趣旨のことを言おうとして、「I want....... service!!」とのたまって、事務方がズルっとこけたことがあります。さすがにそれだと迷惑なわけですけど、まあ、どんどん英語のできる政治家が増えていかないと、日本の政界は国際的にはとても遅れた存在だと思います。それを待ってくれるほど、国際社会は甘いところではありません。