今、原子力損害の賠償に関して、原子力損害賠償紛争審査会という組織が指針を作っています。例えば、原子力損害について風評被害が生じた時も賠償の対象に入れるといったような一般的な指針を作っています。


 多分、多くの方はこの審査会はそういう役割を担う組織なんだろうと思っているはずです。それは間違いではないのですが、名前を見て分かるとおり、この審査会は「賠償紛争審査会」でして、賠償に関する紛争を審査することが想定されているものです。法律上の規定はこんな感じです。


【原子力損害賠償法】

第十八条  文部科学省に、原子力損害の賠償に関して紛争が生じた場合における和解の仲介及び当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針の策定に係る事務を行わせるため、政令の定めるところにより、原子力損害賠償紛争審査会(以下この条において「審査会」という。)を置くことができる。
2  審査会は、次に掲げる事務を処理する。
一  原子力損害の賠償に関する紛争について和解の仲介を行うこと。
二  原子力損害の賠償に関する紛争について原子力損害の範囲の判定の指針その他の当該紛争の当事者による自主的な解決に資する一般的な指針を定めること。
三  前二号に掲げる事務を行うため必要な原子力損害の調査及び評価を行うこと。
3  前二項に定めるもののほか、審査会の組織及び運営並びに和解の仲介の申立及びその処理の手続に関し必要な事項は、政令で定める。


 つまり、物事が起きる度にこの審査会は政令で設置されることになっています。そして、今は第二項二の機能ばかりが注目されていますけども、本来は一の方が重要なのです。この点について、法律が出来た際の、この法律の制定時に原子力災害補償専門部会の部会長をやっておられた、民法の大家である我妻栄東大名誉教授は昭和36年4月26日衆議院科学技術振興対策特別委で次のようなことを言っておられます。ちょっと長いですが、私が書きぬいてみたいと思います。


○ (略)法律の建前としては、(この審査会は)いわゆる前置主義ではないという考え方ですね。ただ、実際問題としては、この審査会が事実上どこまで活動するかということですが、私の個人的な希望としては、ほとんど前置主義になるようにこれが活動してもらいたいと思っております。


○ (略)法律的にいえば前置主義ではありませんから、いきなり訴えていってもいいのです。ことに、この審査会の権限は和解の仲介ですから、決定裁決をいたしません。従って、処分がないから、それを前置とすることはできないだろうと思います。だから、前置しないという建前でできております。ただ、私が申しましたのは、この場合には非常に大ぜいの人が災害を受けるわけですから、一人々々、あるいは数人一緒になって弁護士さんを頼むというよりは、この審査会で集団的に和解が成立する場合が多いだろう、そうして、そういくことがなめらかにいくだろう、事実上そうだろうという予想を申し上げたわけです。


○ この十八条の紛争審査会の権限の中に、「紛争について和解の仲介を行なう」というのが二項の一号にあります。二号では「前号に掲げる事務を行なうため必要な原子力損害の調査及び評価を行なうこと。」といっておることで、一応その調査をして、この和解も、ただ中に入って両方の主張を足して二で割るというのではなく、それを調査し、評価をしたその資料に基づいてやるということになるのです。ただ、それが裁判所を拘束する力は持たないという考え方でできております。しかし、さっき申しましたように、集団的に大勢の人が被害をこうむりますから、それをこの審査会及びその事務を行なう原子力委員会の部局で常々調査をし、資料を持っておりますと、それは事実上相当被害者を納得させるであろうし、また、事実上裁判所を拘束することにもなるだろうということを頭の中に入れながら実際これが働いていくだろう、こう申し上げたのであります。


○ (略)部会の考えでは、これをいわば一種の行政委員会にして、そうして裁決する権限を与えて、いわば一審の仕事をさせる、そうして、それに不服があれば高等裁判所にいくというので、他に例をあげると、土地調整委員会というようなものにするというのが多数の意見だったのです。しかし、御承知のように、行政委員会を置くということは、現在日本の行政組織全体から見てあまり好ましくないということが一般に考えられているらしいので、それらのことで政府部内で検討された結果、どうも処分権限のある行政委員会とすることは好ましくない、むしろ審査会にしておいて、そうして、裁判は普通の場合と同じように第一審からの裁判にするというふうに、その点は後退いたしたのです。(以下、略)


 簡単に纏めると、次のようになります。


・ 元々は常設で処分権限のある行政委員会にしたかったが、大蔵省等が反対したので審査会というかたちにした。

・ 賠償について紛争が生じた場合、別にこの審査会を経由せずにいきなり裁判所に訴えてもいいけど、あまり現実的ではないだろうから、結局、この審査会が第一審的な役割を果たすことを期待している。

・ その判断は法的には裁判所を拘束しないが、実際には相当程度裁判所を拘束する力を持つことになるだろう。


 相当に強い機関であることが法律制定過程で想定されていたし、法律では若干後退したけれども、それでも相当に強い機関として活動することが分かります。しかも、我妻先生からは「足して二で割るようなことをするんじゃないぞ。しっかり調べて、きちっと判断しろ。」と厳しい叱咤激励が飛んでいるようにも読めてしまいます。


 今、あれこれと賠償スキームがマスコミの紙面を踊っています。その中にこの(実は結構強いはずの)審査会の存在が全く出てこないんですよね。東電が前面に出て、それを新機構が支えるスキームについての評価はまた稿を改めたいと思いますが、実は東電が賠償をケチったりした時はこの審査会が出てくるわけですから、もう少しスポットライトが当たってもいいんじゃないかなと思います。指針を作ったらそれで終わりの機関ではないのです。


 このテーマについて触れる人があまりいないので、気になって書き残しておくことにしました。