昨日の衆議院本会議で「日独交流150周年にあたり、日独友好関係の増進に関する決議」が採択されました。最後の最後で一部野党の内部で揉めたようでして、最終的に退席する議員が数十名はおられたと思います。揉めたのはこの部分のようです。


【決議抜粋】

 両国は第一次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、一九四○年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った。

 しかし両国は奇跡の経済復興を遂げ、同時に戦争への反省に立ち、今日、自由、民主主義、人権の尊重という基本的な価値観を分かち合いつつ、世界の平和と繁栄のために緊密に協力している。さらに、両国の国民は、相互の文化と価値観に対する尊敬の念を基礎に、広範多岐にわたる交流を着実に進めている。

【抜粋終了】


 一つ問題があるとすれば、「その後、各国と戦争状態に入り」の部分は、事実関係からすると、欧州では第二次世界大戦は1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻によって始まったと認識されていることから、「その後」にはなりません。この部分はたしかに誤認があります。


 日本では、例えば「戦争状態」の定義で色々と論議があります。外務省条約課補佐時代に、そのあたりはとても悩んだことを思い出します。ちなみに日本の外交文書においては、いつからいつまでが戦争、あるいは戦争状態にあったのかは明示されてないことが常です。基本的には「先の大戦」という曖昧な言い方に徹しています。質問主意書の答弁でも「お尋ねの『先の大戦』については、時期をめぐり様々な議論があるところ、政府として、具体的に断定することは適当でないと考える。」という趣旨のものがあります。


 私の経験では、特に中国(中華人民共和国)との関係では「いつ、戦争状態が始まり、終わったのか」が明示しにくいです。ソ連との間とて、本音を言えば不可侵条約との関係で1945年8月9日が戦争開始ということには疑義がありますし(ただ、日ソ共同宣言ではそう書いてある)、1945年8月15日が終わった後にも戦闘が続いたことについても言いたいことはたくさんあり、そうそう認識が一致するものではありません。


 そういう観点からは、「先の大戦」については「時期」の要素を含む内容は盛り込まないに限るのです。「その後」の文言を、例えば「その過程において」くらいにしておけば良かったのではないかと思います。たしかに、ここはご批判としては当たっていますし、不手際があったと思います。


 また、批判する方は「友好増進なのに、こういう過去の前向きでない話を入れるのは適当ではない」と言う方もおられます。私は「これも歴史の一つ。ありのまま受け入れるべき。決して常にバラ色ではなかった両国の歩みの先に今の我々があるのは事実。」という見解です。事実をありのままに受け入れ、その上に立っていくだけのことです。「各国と戦争状態に入った」のも、「多大な迷惑をかけた」のも、「戦争への反省に立った」のも事実です。それを「自虐的」と形容する人もいるようですが、私はその認識を共有していません。


 ちなみに平成16年の日米関係についての同様の決議で類似の部分を書き抜くとこんな感じです。提案者は自民党の川崎二郎議員です。


【日米交流百五十周年を記念し、日米関係の増進に関する決議(抜粋)】
 その後、両国は困難な時代にも遭遇し、六十数年前には過酷な戦争すら経験したが、相克を乗り越え、歴史に残る強固な国家関係を育むに至った。今日、両国は固い友情と絆に結ばれ、自由、民主主義、基本的人権という基本的な価値を分かち合い、世界の平和と繁栄のために緊密に協力している。両国の国民は相互の文化と人間性に対する尊敬と親愛の念を基礎に幅広い交流を進めている。

【抜粋終了】


 「困難な時代」、「過酷な戦争」、「相克」・・・、判断はお任せいたします。それなりに日米関係の一面を抜き出したものだと思います。


 与野党間の議論では色々あったと聞いています。私はその詳細を知りません。しかし、そんな中でもある程度、国対レベルで文言の調整がついたと判断したから本会議での採決になったのです(この手の決議モノは基本的に相当程度調整が済まないと本会議には上がってきません)。裏で誰かが策動した結果、騙し討ち的なかたちになったものではありません。しかし、一部野党の直前の代議士会で反対論が出たそうです。その代議士会での結果は党議拘束なしということになり、本会議採決で相当数の退席が出ました。


 その場でぞろぞろと棄権退席をする議員を見ながら、私の視線の先には、本会議場の外交官席におられたシュタンツェル在京大使の姿が映りました。日本に詳しいシュタンツェル大使ですから分かってはいると思いますが、その思い、推し量るにあまりあります。少なくとも私が想像しうる限り、最も礼を失するシーンでした。


 内容に一部誤りがあったのは事実です。ただ、それがあったとしても、日独関係の大義にかんがみれば、あそこまでやる必要があったのかねぇ、と思います。本会議場で決議文を読み上げている際、目を吊り上げて叫ぶある議員の姿を遠目で見ながら、背筋に冷たい汗が流れるのを感じました。