予算委員会分科会で、稼働中の工場をユネスコの世界遺産申請できるかということを聞きました。それはそれで意味のある答弁が返ってきましたが、いつもこのことについて気になっていることがあるので書いておきます。


 地元では新日鉄八幡製鐵所の一部施設を世界遺産申請できるようにということで、地域の方々の盛り上がりがあります。その動きの中でいつも私が「止めといた方がいいのになあ」と思うことがあります。それは「何の権限もない欧米のおじさんの意見を拝聴すること」です。


 この「九州・山口の近代化産業遺産群」の世界遺産申請について、欧米人(正確にはアメリカ人はいませんけど)の意見をとても珍重する傾向が地元にあるのを、私は懸念しています。


 ちょっと自慢になりますけど、私は70近くの世界遺産に行ったことがあります。外務省にいましたので、ユネスコの世界遺産認定がどのように決まっているかも分かっているつもりです。これは世界遺産委員会(ICOMOS)が強い権限を持っていて、そこに実質的な影響力を持っていない人間が何を言おうと意味はないのです。そして、ユネスコという組織の周辺にはそういう人もたくさんいます。


 先日、福岡市内で本件推進のための世界遺産シンポジウムがあったようです。私は行きませんでした。そこに呼ばれているのは、産業遺産関係のコンサルタントと書いてありましたが、その名前や肩書を見ても、どの程度の影響力を持っているのか分からない欧米人でした。産業遺産に関して、ICOMOSのアドバイザリーをやっている方もいたようですが、私に言わせれば「どの程度の影響力があるかは分からない組織。いずれにせよ、産業遺産のアドバイザリーをやっている以上、産業遺産は飯の食いぶちなので、その申請については耳当たりのことを言うはず。」ということなのですが、多分、シンポジウムではその方の意見をありがたがったことでしょう。ちなみに、そのICOMOSのアドバイザリーと称する組織について、ユネスコ職員に照会したところ「聞いたことがない」ということでしたので、そのプレゼンスたるや大したことはないのだと思います。


 どうしても、ユネスコの専門家の意見を聞きたいのであれば、産業遺産に特化せずに「世界遺産全体に精通している人」に聞けばいいのです。現在のICOMOSの方向性(途上国重視)、ICOMOSにおける産業遺産の位置づけ・・・といった意見を聞いて、「ああ、難易度が高いのだな」ということを共有するのであれば、それはそれで意味があります。「Wishful thinking(希望的観測)を煽って、皆で良い気持ちになってはいけない」、そう思います。


 更に意地の悪い言い方をすれば、当該コンサルタントが例えば(英語のたどたどしい)非白人であれば、その見解をありがたがらなかったのではないかと思います(文脈を読んでいただければ分かりますが、私は人種差別的見解を主唱しているわけではありません。)。何となく「悪しき欧米信仰」を、私は感じました。


 そういう欧米人の言うことを信じて、日本人は騙されてきたことがたくさんあります。特にユネスコなんていうサロン的組織では尚更です。あちこちで私は「あんな欧米人の言うことをありがたがらずに、日本の信ずるところをきちんと進んでいけばいい。ましてや、権限のない欧米人を呼んで、心地いい発言を聞くために税金を使うなんてのは論外。」と言うのですが、どうも私は少数派に属しているようです。


 こういうことについて、私はとてもクールヘッドなんですけどね・・・。