不断の努力が必要な「ムダ削減」ですが、我が党内を含め、ちょっと誤解があるような気がしています。ムダは存在しますし、それを切って財源を作るということは常に必要です。その上で、非常にザクッとした雑な議論ではありますが、私の思いを書いておきます。

 まず、「ムダ削減」というのは「総論賛成、各論反対」になりやすい際たるものです。「ムダを削減することに賛成の方」と質問すれば、恐らく100%賛成の返事が返ってくるはずです。しかし、具体的に削減をしていけば事業の停止、組織の改廃、場合によっては解雇が出てきます。つまり、ムダの削減というのは言い換えれば「リストラ」ということになります。「ムダ」と言うと、何か社会の現実とは別のところに、「ムダ」という名前の切り捨てても痛くも痒くもない部位があるかのような印象を持っている人がいますが、決してそんなことはありません。社会的に、政治的に見て「ムダ」と判断されるものを切れば、結果として、そこに強烈な痛みが生じるのです。

 そのあたりの認識が、我が党内で弱かったような気がしてなりません。総論賛成の「ムダ削減」で選挙を戦ったものの、そのムダ削減が自分の選挙区に降りかかってくる時、激しく抵抗する議員の姿を私は何度か見ました。私は「ムダ削減」を口にする際、「自分の選挙区に影響が出たとしてもそれを甘んじて受ける」くらいの気概を持っていたつもりですし、今でもそれは変わりませんが、その思いを共有していない人がいるんだなあということに結構驚いたものです。

 そして、ムダ削減での財源捻出は万能ではないということもあります。ムダ削減というのは、現在の歳入を前提とした上での予算の付け替え、歳出の削減です。つまり、40兆円弱の税収で92兆円の予算を組んでいる、その財政難に対する処方箋としては弱いのです。予算の付け替えや歳出削減で92兆円の上限を下げていくことはできますが、別に40兆円弱の税収を増やせるわけではありませんし、基本的に現在の歳入・歳出の中でのムダの削減なわけです。

 つまりは、「財源」を捻出というその「財源」の定義が話者によって相当程度異なっているわけです。ある人は、予算の付け替えで新規事業に対応するという意味での「財源」ということを語っているでしょう。それは正しい使い方です。しかし、財政難に対応する「財源」を語る人もいます。それは歳出減を通じてやれる部分があるので全く不適当とまでは言いませんが、歳入の部分が変わらない以上は、相当程度の限界があるとだと思っています。今回の選挙を通じても、この「財源」の定義が曖昧に使われているなと感じたことが数回ありました。

 私は徹底的にムダを削減していくべきだということについては、誰にも負けないつもりです。ただ、そこには留保があって、ムダ削減というのは強烈なリストラ効果を伴う、いわば最大の構造改革に繋がるものであり、当然痛みが出てくるものであるということ、そして、それだけで財政難に対応できるわけではないということです。

 余談ですが、昔、フランスのジュッペ首相が公務員制度改革の中で、公共サービスの一部を「mauvaise graisse((切らなくてはならない)悪い脂)」と形容して、非常に不評を買ったことがありました。テレビで公務員から「私は『悪い脂』ですか?答えてください。」と激しく詰め寄られていたのを思い出します。「ムダ削減」というのはいつの時代もそういう要素があるということなんですね。

 本当はこういうことを言うと嫌われますし、選挙にプラスもないでしょう。しかしながら、こういう逆風の時だからこそ、素直な気持ちを語っておきます。異論、反論、お待ちしております。