こういう記事 が出ました。「どんな資料かな?」と思い、外務省に資料請求しました。貰った資料をそのままjpgで取り込んでアップしようかと思いましたが、それはあまりに行政との信義則に反するので、小生の責任で打ち直します。一応、読み直しはしましたので、それ程の間違いはないと思います。
なお、この資料は情報公開でも出しているということで「秘指定のない資料」です。あれこれと悩みましたが、各位の供覧に資するためにあえて載せました。こういうものを隠さない気概を持つことも政治家の要件だと、私は信じて疑いません。
【昭和35年2月外務省発表集第10号(抜粋) 記事資料昭和34年7月11日】
(三)アジア、豪州関係
1 在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について
記事資料昭和三四年七月十一日
一. 第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがってまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。実情は次のとおりである。
一九三九年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約一〇〇万人であったが、一九四五年終戦直前にはその数は約二〇〇万人に達していた。そして、この間に増加した約一〇〇万人のうち、約七〇万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの三〇万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であった)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに一九三九年七月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく一九四四年九月に至って、はじめて、朝鮮から内地に送り出される労務者について実施された。かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは一九四四年九月から一九四五年三月(一九四五年三月以後は関釜間の通常運行が杜絶したためその導入は事実上困難となった)までの短期間であった。
二. 終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
(1) まず一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、約九〇万人、個別的引揚げで約五〇万人合計約一四〇万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたっては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
(2) ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五〇万人ということであったが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約十六%、約八万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。
(3) なお、一九四六年三月の米ソ協定に基づき、一九四七年三月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約一万人が申し込んだが、実際に北鮮に帰還したものは三五〇人にすぎなかった。
(4) 朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかったが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになったので、一九五八年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残ったものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていった者であった。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数である。
三. すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約六一万であるが、最近、関係者の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは二四五人にすぎないことが明らかとなった。そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国したものが多数ある次第であって、現在日本に居住している者は、前記二四五人を含みみな自分の自由意思によって日本に留った者また日本生れのものである。したがって現在日本政府が本人の意思に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もない。
在日朝鮮人の来住特別内訳表
項目 |
人員(人) |
% |
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登録在日朝鮮人総数 |
六一一,〇八五 |
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内訳 |
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(1)所在不明のもの(一九五六年八月一日以降登録未切替) |
一三,八九八 |
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(2)居住地の明らかなもの |
五九七,一八七 |
一〇〇.〇 |
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(2)の内訳 |
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(A)終戦前からの在留者 |
三八八,三五九 |
六五.〇 |
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うちわけ |
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(イ)一九三九年八月以前に来住したもの |
一〇七,九九六 |
(十八.一) |
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(ロ)一九三九年九月一日から一九四五年八月十五日までの間に来住したもの |
三五,〇一六 |
(五.八) |
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(ハ)来住時不明のもの |
七二,〇三六 |
(十二.一) |
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(二)終戦前の日本生れ |
一七三,三一一 |
(二九.〇) |
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(B)終戦後の日本生れおよび入国者 |
二〇八,八二八 |
三十五.〇 |
【資料終了】
私は、この記事資料の内容をすべてそのまま受け入れるわけではありません。特に、戦前から戦後間もない時期に亘る事象がこんなに簡単に割り切れるものではないことを、地元でよく感じます。一例ですが、「便宜を図ったけど帰らなかった」と「自由意思で残っている」との間にはかなりの距離があります。
また、本当につまらないケチ付けの部類ですが、お役所の文章としてはあまり出来がよくありません。一つ一つを指摘することはしませんが、お役所生活11年の身には読む度に「これ、きちんと上の決裁取った文章なの?」という気がします。
しかし、良き議論の材料になると思います。