「ランク・コンシャス」という言葉があります。あまり人口に膾炙する言葉ではありません。意味は「肩書きに対する意識が高い」くらいのところでしょう。例えば「ランクの低い人には会わない」というようなことを指します。外交の世界では非常に重視されます。


 あまり、行きすぎると非常に硬直化してしまうので、常に推奨できるわけではありません。ただ、ある程度はあっていいでしょうし、あまりズルズルでランク・コンシャスでないのは問題があります。最近、それをよく感じます。


 時折、アメリカの次官補クラスが外相に会ったりしています。私はこれはダメだと思います。次官補と言うと、日本のお役所では「局長」です。逆を考えてみましょう。日本の局長クラスがクリントン国務長官にアポイントを申し入れてもまずダメでしょう。昔、たしか中国の次官クラスが総理に会っていたような記憶があります。外務省チャイナスクールが「重要人物ですから」ということで官邸に押し込んだのでしょう。友人と「じゃあ、こちらから副大臣が行けば温家宝は会うのかよ。」とぼやいたことを思い出します。その他にも、例えば日本の閣僚や政党幹部は駐日米国大使公邸に足を運ぶようなことはあまりしない方がいいでしょう。基本的に、彼らは「呼びつける」対象でこそあれ、こちらがホイホイ行くような相手ではないという基本認識は持っておくべきです。


 こういう世界は、ある程度はレシプロシティ(相互主義)が確保されることが必要です。相手はランク・コンシャスなのに、日本だけが大臣、総理の価値を下げていくことはしてはいけません。こう言うと「政策の中身次第で必要であれば大臣が会ってもいいではないか」という反論があります。それは理屈としては正しいですけど、そこは日本という国のプライドがあっていいはずです。どうしても会う必要があるなら、「大使が連れてくるなら会ってもいい」というくらいのことは言うべきです。そこでランクを合わせるわけです。


 基本的に閣僚は閣僚がカウンターパートであって、どんな国が相手であっても、一対一で会うのはせいぜい副大臣、次官くらいまでとしておくべきです。色々な大臣の会談相手を見ていると、局長クラス、大使館の公使クラスが会いに行っているケースが稀ですがあります。こういうのはパシッと撥ねつけておかないと、どんどん軽く見られます。


 ただ、これは実は日本の外国での振る舞いにも大きく関わります。あまり意識しないかもしれませんが、日本の行政機構は結構「頭でっかち」なのです。大臣がいて、副大臣がいて、政務官がいて、次官がいて、次官級審議官がいて、局長がいる、これだけで既に1つの役所で15~20人くらいになります。これらの人がすべて外国に出て、それなりにハイランクの人と会いたいというと結構面倒です。ランク・コンシャスな相手にそれを押し込もうとすると、結構、相手に借りが出来てしまいますね。


 何故、「頭でっかち」かと言うと、アメリカの行政機構だと長官、副長官、次官、次官補・・・とピラミッドが書けます。日本は大臣、副大臣、政務官で一つのピラミッドが書けます。そして、事務方は事務方で次官、次官級審議官、局長でもう一つのピラミッドが書けます。事務方のピラミッドの上に、政務三役のピラミッドが乗っているイメージです。この違いが、日本の行政機構の「頭でっかち」に繋がっています。今、仙谷大臣が言っている「事務次官の廃止」というのは、日本の行政機構でもきちんと一つのピラミッドを書こうということなのです。


 ランク・コンシャスからスタートして、ちょっと話が飛びました。いずれにせよ、ある程度のランク・コンシャスネスは大事にすべきです。それは外国における日本の立ち振る舞いにも影響するわけですが、そこを勘案しても私はある程度のランク・コンシャスを徹底してもらいたいと思います。それが最低限の日本人としての誇りでしょう。