最近、よく外国人の地方参政権についての見解を求められます。会館事務所にも多くの方からの非常に真摯なご意見が寄せられます。かつて一回、このブログに書いたことがありますが、今回、憲法との関係に限定して少し考えを述べたいと思います。現時点でこういうことを書く国会議員は少ないでしょう。昨今の盛り上がりを踏まえれば、あえて火中の栗を拾う気持ちです。そこはご理解ください。


 まず、合憲か違憲かという論点です。私は「憲法改正したほうが良いのではないか」と元々思っていた人間です。私が住んでいたフランスでは、マーストリヒト条約で「自国民でないEU市民に地方参政権(被選挙権も)を与える」ことが定められた際、この点が問題になりました。改正前のフランス憲法では「フランス国民が選挙人である」という規定があったため、最終的に憲法院でマーストリヒト条約と憲法の間に抵触関係があると判断され、憲法改正をしています。


 ただし、我が国の最高裁判決において概ね「憲法は外国人参政権を設けることを要請してはいない。しかし、憲法で禁じられているわけでもなく、専ら立法政策の問題である」といったことがあります。論者によっては「これは判決理由とは直接関係ない傍論で述べられたものだから効力がない」という方がいます。ただ、判決を読む限り、当該部分が「傍論」かどうかという判断は難しく、かつ、そもそも日本の裁判制度では「判決理由」の中で明示的に「傍論」と位置づけるような判決のスタイルを採っていません。反対の趣旨の最高裁判例がない以上は、現時点では最高裁として上記のような立場を採っているという推定は働かせていいように思います。そう考えると、私の立場は「憲法改正したほうが良いのではないかと思っていたけど、最高裁が専ら立法政策の問題だというのであれば、それはそれで別に異議を唱えるものではなく素直に従う。」くらいのところです。


 そして、よく言われるのが憲法15条1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」との規定があるため、外国人の地方参政権はあり得ないという論点です。まあ、たしかにそれは正しいようにも見えます。上記で引用した最高裁判決においても、「憲法93条2項にある『地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する。』と規定しているのは地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当」とあります。ただ、最高裁判決で参政権付与について「専ら立法政策」として許容説を採用していることとの関係で考えると、憲法解釈上、恐らく次の2つの可能性があり得ます。そのあたりは最高裁判決は明確ではありませんし、どういう論理構成なのかも分かりません。


1. 立法政策次第では、憲法93条2項に言う「地方公共団体の住民」の範疇に外国人が含まれ得ることもある(ただ、立法によって憲法解釈が変わるというのは歪ですね)。

2. 憲法上、外国人参政権の話は完全に空白になっていて、そこにどう絵を描くかは(憲法の規定内において)立法者に任されている(これもちょっと強弁っぽいですね)。


 更にちょっと蛇足的なそもそも論になりますが、憲法30条において「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」という規定がある一方、外国人も納税の義務はあるわけです。ここでも上記と同様な解釈論の問題があるのでしょう。


 いずれにせよ、そういう流れで考えていくと、憲法15条1項の規定のみをもって、外国人の地方参政権が違憲であるというのは少し論拠が弱いように思います。個別具体的に「国民」、「地方公共団体の住民」という文言の中身を判断していく余地があるのか、それとも、外国人参政権については憲法は空白なのだということなのかはありますが、最高裁が許容説を採用する背景には紋切り型で切り捨てられない何かがあるのだろうと考えています。


 憲法上、許容され得る余地があるからといって、立法政策上それをやるかどうかというのは全く別の話です。正に国会の意思としての立法政策の対象です。そこについては、自分自身の中で最近論理構成が変遷しており、もう少し考えが纏まったところで書きたいと思います(別に逃げているわけではありません。)。


 本件については、議論が白熱するあまり時折脱線してしまいますが、真摯な議論を望みます。決して自分が常に不可謬と言うつもりはありません。