林野行政に関する資料をちょっと読んでいた際、何故か「森」について思いを馳せました。と言っても、今日はあまり林野行政とは関係がありません。


 昔、世界史を学んだ際、「森」が歴史の舞台として出てきたので思い出せるのは、「カチンの森事件 」と「トイトブルグの森の戦い」というのがあります、前者は第二次世界大戦中のポーランド将校虐殺事件で、今ではソ連によるものだということが明らかになっています。今日、取り上げるのは後者です。


 世界史の教科書で「トイトブルグの森の戦い」というのは、あまり大きくは出てきません。紀元9年、つまり今から丁度2000年前、ローマ帝国のアウグストゥス帝が北上して、ゲルマン諸民族と一戦を交えたのです。多分、当時のゲルマン諸民族は大した武器を持っていなかったはずですが、ローマ帝国軍をコテンパンにやっつけてしまい、結局、ローマ帝国はゲルマン征服をここで断念し、ライン川、ドナウ川を領土の北限とするようになります。


 そして、ラテン民族とゲルマン民族の支配地域が概ねこの戦いで固定されてしまいます。ここでローマ帝国が勝っていたら、今のフランスとドイツの力関係って変わっていたかな、なんていう気にもなります。


 このトイトブルグという名前ですが、ブルグ(burg)は「町」くらいの意味でして、フランス語では「ブール(bourg)」でブルジョアという言葉に繋がります。「トイト(teuto)」は、まあ「チュートン人(Teuton)」から来ているでしょう。チュートン人というのは、古代欧州にいた民族で恐らくはゲルマン系だとされています。また、今の「ドイツ」という言葉はこの「チュートン(トイト)」から派生したものだとも言われます(ただし、異説ありです)。普通に読めば、トイトブルグというのは「チュートン人の町」くらいの意味です。ドイツ人的には、上記のような歴史的にも、呼称的にも訴えるものがあるのではないかと思いますね。


 そのトイトブルグの森の戦いから今年が2000年目です。だから、何だということは全然ないのですが、「当時の人は奥深い森を見て、何を思っただろうか。神秘的な、超自然的な力を感じたのではないだろうか。そこに神話が生まれ、おとぎ話が生まれただろう。トイトブルグの森まで遠征してきたローマ軍は何を感じただろうか。それに比べ、現代人は森を、自然を征服してしまった。そこに神話は生まれない。」、そんなことに思いを馳せたりしています。


 なお、紀元9年に起こったもう一つの世界史的出来事があります。中国で王莽による「新」という国が誕生したことです。前漢→新→後漢の変遷については述べるまでもないでしょう。こちらについては、少しだけ今の状況と重ね合わせて、鳩山政権が成功の道を歩めるようにひたすら専心するだけです。


 読み直してみましたが、今日は支離滅裂ですね。しかも、国政とあまり関係もありません。たまには良いでしょう、こういうのも。