もう、既に旧聞の話になるのかもしれませんが、マイケル・ジャクソンが亡くなりました。一つの時代が終わったような喪失感があります。マイケル・ジャクソンの曲に「Gone Too Soon」 という曲があります。エイズで夭逝した若者を悼む曲ですが、今となっては歌っていた本人に捧げられんとする曲です。


 私が初めて買ったCDは「BAD」でした。中学校1年生の時だったと思います。歌詞の内容を理解しようと辞書を繰ったことを懐かしく思い出します(それでも当時はよく理解できませんでした)。私は「Smooth Criminal」 がPVを含めて一番好きでした。今でもこのPVの7:16くらいのところで出てくる、あの傾きはどうやっているのか不思議でなりません。


 ところで、マイケル・ジャクソンといえば「色が少しずつ白くなっていった」ということが印象的です。何をどうやったのかは分かりません。ただ、あの白色化によって彼は基本的に太陽に当たることができなかったそうです。太陽に当たると体のメラニンが変な形で作用するのかもしれません。


 白人(あまり好きな言葉ではありません)への憧れのようなものがあったのでしょう。その背景には、抜き難い黒人(勿論、嫌いな言葉です。以下は「アフリカ系アメリカ人」とします。)差別があったはずです。


 私はマイケル・ジャクソンを見ると、いつも思い出すことがあります。それはセネガル勤務時代に数度行った「奴隷の館(maison des esclaves)」です。ここはユネスコ世界遺産に指定されています。何かというと、セネガルの首都ダカール沖にある小さな島ゴレ島にある小さな館です。ここは奴隷貿易華やかなりし時代に、アメリカ大陸への奴隷の積み出し港として使われた場所です。アフリカ各地から、一旦ここに奴隷を集めて、そこから大陸への船を出帆させたのです。


 といっても、反乱を防止するためにすべての奴隷は鎖に繋がれ、船内は糞尿まみれだったと言われています。亡くなった奴隷は大西洋に放り出され、アメリカ大陸に着く頃は生存率は7割を切っていたと聞かされたことがあります。我々の想像を遥かに超える世界です。今、アメリカ大陸にいるアフリカ系の方々の先祖の多くはそういう経験をしているわけですね。


 このゴレ島には、よくアフリカ系アメリカ人が来ては、自分のルーツをそこに見出し涙していました。「Come Back!」と叫びながら号泣しておられる方もいました。先祖が経験した苦難、今でもアメリカに残る差別、そんな一つ一つのことが思い出されるのでしょう。私も奴隷の館の積み出し場所から広い大西洋を見て、「ああ、ここから多くの人が片道切符の旅に出たのだな」と心を打たれました。とても長閑で良い場所なだけに、そのギャップが衝撃的ですらあります。


 そういう、アフリカ系アメリカ人の抱える業のようなものを思い、今もアメリカに残る様々な差別に苛んでいることを思うと、マイケル・ジャクソンの心の中でトラウマがとてつもなく大きくなり、少し歪んだかたちで白色化という選択をしたのかもしれません。


 マイケル・ジャクソンの白色化をからかうことは簡単です。ただ、何故彼がああいう選択をしたのかということまで思いを馳せると、少なくとも「白人」は抱えきれない程の歴史的責任を感じるべきでしょう。