ロシアのプーチン首相が「これまでロシアはWTO(世界貿易機関)加盟交渉を進めてきたが、一旦打ち切って、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンの3国で関税同盟を形成した上で、関税同盟としてWTO加盟交渉をやる」と表明していました。かつて、外務省の「ガッチャマン(GATT専門家)」だった私は「は?・・・」と力が抜けてしまいました。


 関税同盟というのは、簡単に言うと域内での貿易をほぼ完全自由化し、かつ対外的に共通関税を採用する国家・地域群のことだと理解してもらってOKです。GATT・WTOの枠組みではEUは関税同盟に当たります。ちなみに、関税同盟から「対外的に共通関税」の要件を外すと自由貿易協定(FTA)になります。


 別に今、ロシアとベラルーシ、カザフスタンは貿易が完全自由化されているわけではありません。共通関税なんてのも勿論採用していません。そんな中、何故プーチンはそんな発想になったのでしょうか。WTOに早期に加盟したいのであれば、関税同盟を結成するプロセスをわざわざ経る必要は全くないどころか、単なる遠回りだと思うのです。ロシア、ベラルーシ、カザフスタンの何処にもメリットはありません。


 私が想像するのは、単に「WTO加盟交渉が全然進展を見ないから、プーチンがキレた」ということです。あまり国際貿易ルールの構造を知らないプーチンが「数は力なり」と思いこんで、お仲間を募ろうとしているのかもしれません。ちなみに関税同盟になったからといって、交渉上のバーゲニングパワーは全然上がらないでしょう。むしろ、「本当に関税同盟なのかどうか」というWTO加盟以前のところで検証を要することになるため、時間を非常に浪費するだけでしょう。


 それでもあえてそんな動きをしようとしたのは、実はWTOとは関係なく、単にカザフスタンとベラルーシを取り込みたいという思いが先に来ているのではないかと思います。バルト三国、ウクライナ、グルジアはもうロシアを振り向かなくなり、アルメニア、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、モルドバなんてのは国境を接しておらず、アゼルバイジャンはイスラム色が強すぎということになると、残るお仲間は実はベラルーシとカザフスタンくらいしか残っていないのです。このあたりをWTO加盟というテコを使って逃がさないようにしたいという思いがあるのかな、という気がしています。関税同盟ということになると、貿易に関しては殆ど一体化することになります。一旦、関税同盟を形成すると、EUの例を見ても分かるように後はどんどん統合への道を歩まざるを得ません(関税同盟の次元でずっと止まっていることはおよそ不可能)。そうやって考えると、本件は、実はロシアが旧ソ連圏の中で少し孤独感を持ち始め、焦燥感を持っている兆候なのかもしれません。


 元々、ベラルーシとは連邦を組む話が昔からありました。ベラルーシというのは「白ロシア」ですが、実は国としてのアイデンティティが希薄な国でもあります。そもそも、中世から近代にかけてはリトアニアやポーランドの一部だったことが大半であり、ベラルーシという強いアイデンティティは醸成されなかったように思います。その証左に、ベラルーシが独立した当初、あの国の通貨・紙幣には歴史上の人物が載りませんでした。民族として共通の伝説、物語みたいなものがないのです。たしか、最初の通貨・紙幣はウサギとか、花とかそういうものが使われていた記憶があります。今は国の様々な施設が紙幣の絵として使われています。ようやくそういうものが、国民共通の記憶となるところまで来たということです。


 ただ、最近はロシアとベラルーシの関係はあまり上手く行っていないのです。今年6月、ロシアはベラルーシからの乳製品に禁輸措置を講じました。ロシアという国は、旧ソ連共和国と関係が悪化すると、すぐに禁輸を使います。2005年はウクライナの農産品、2006年はモルドバとグルジアのワイン、そして、今回はベラルーシの乳製品、分かりやすい構図です。どうも5月のプーチン訪ベラルーシ時に、将来の連邦化を前提にベラルーシ経済のルーブル化を要求したことに対し、ルカシェンコ大統領が要求を拒否したこと等、あれこれと両国間にゴタゴタがあるようです。しかも、ロシアによるベラルーシ援助の条件が、(グルジア国内で分離独立運動をやっている)アブハジアと南オセチアの国家承認だったそうです。普通に考えれば、そんな要件をホイホイ飲んでいたら、次は自分がロシアと連邦を組んだ時、事実上属国化してしまい、将来的に自分の国にも手を突っ込まれることへの懸念が出てきますよね。


 そんな中、ロシアは硬軟織り交ぜつつ、WTO加盟というテーマを通じてベラルーシとカザフスタンの取り込みに入ってきたということなんじゃないかと私は見ました(何の根拠もありませんけど)。ただ、その裏には「旧ソ連時代の仲間が離れていって寂しい」という気持ちもあるような気がしています。今回のWTOに関するロシアの動きは、WTO加盟という目的そのものとの関係でみるよりも、あの地域でのロシアをめぐるパワーバランスの中で見た方が分かりやすいと思っています。端的に言うと「内向きの理由」なんですよ。


 ただ、現時点で外交問題を理由に乳製品禁輸とかやっている段階ですから、真の意味で関税同盟を構成しているとは言いにくいですね。多分、この関税同盟→3ヶ国による関税同盟としてのWTO加盟という取り組みは成就しないでしょう。私がルカシェンコ大統領や(カザフスタンの)ナザルバーエフ大統領なら、企画に参加はしますが、最後までお付き合いしないような気がします。