スリランカで、政府軍によってタミール・タイガー(タミール・イーラム解放の虎・LTTE)が制圧されて、取りあえず内戦終結だと言われています。ラジャパクサ大統領が勝利宣言をするとともに、プラバカランLTTE司令官の遺体が見つかりました。たしかに、これで政府軍対LTTEの構図で行われる組織的な内戦は終了でしょう。


 私は10年前くらいにスリランカに行ったことがあります。東京からエアー・ランカで行きました。乗った時は「おー、結構乗っとるな」と思ったのですが、コロンボに着いた時に降りた人は殆どいませんでした。何のことはないインド洋に浮かぶモルジブに向かう人が大半でした。あまりにコロンボで降りる人が少なくて悲しかったことを思い出します。コロンボで印象的だったのが、野良犬が多かったことです。しかも、スリランカの野良犬は図々しくて、車を無視するように車道を歩いているくせして、車が近くに来ると微妙にスルッと避けるのです。今でもスリランカと言えば「(巧みな)野良犬」が思い出されます。


 スリランカには文化の三角地帯という呼ばれる地域があり、小乗仏教(上座部仏教)の文化が集中して展開されています。滞在中はその三角地帯をグルグル回りましたね。もう、写真を見ないとはっきりとは思いだせないくらい昔の話なのですが、印象に残っていることに「カレーが美味かった」ということがあります。私は妻から「黄レンジャー」と呼ばれるくらい、カレーマニアでして、レトルトのボンカレーから本格的インドカレーまで、「カレーの王子様」以外は何でも嗜みます。そんなマニアの私からしても、スリランカカレーは美味しかったですね。お勧めです。


 あと、記憶に残っているのは、薬草園みたいなところに立ち寄らされた際、身体に悪いところはないかと聞かれ、素直に「肩がよく凝るのよ」と応えたら出てきた怪しい薬のことです。「おまえは神経や血管が捻じれている。だから、まずこの薬を腕のところに付けろ。その後は一日ごとに腕の付け根の方に薬を塗布する場所を移して、その後は脇から臀部、腿、足と薬品塗布部分を移動させていき、最後くるぶしまで塗布すれば、最終的におまえの神経と血管は真直ぐになる」と言われ、そのまま塗り薬を買わされました。その後、私は勤務地セネガルに戻った後、上記の処方を素直に聞いてずっと薬を塗布していたのですが、どう見ても、臭いからしても、その薬はただのタイガーバームでした。結局、肩凝りは治らず、セネガルの青年海外協力隊員からは「緒方さん、タイガーバーム臭いっすよ」と指摘され、散々でした。


 まあ、そんなダベリ話はともかくとして、このLTTE制圧については色々と思うことがあります。そもそも、スリランカではタミール人が優遇されていた時代がありました。タミール人というのはインドの南部とスリランカの北部に住んでいる人種です。日本の方に分かりやすいのは「ムトゥ踊るマハラジャ」はタミール語の映画でして、インドのスタンダードでは必ずしもありません。あの映画では、隣村に行くとムトゥの話す言葉が通じなかったみたいなコメディー・シーンがありましたが、多言語国家インドではあり得る話なのでしょう。ちなみにタミール人というのは、ドラヴィダ族という人種の一つで、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人がインドに入ってくる前からいたいわば原住民族的な位置づけですね。学節によれば、そもそも「タミール」という言葉自体が「ドラヴィダ」からの転化だとも言われています。


 タミール人が優遇されていたのは、植民勢力の言葉であった英語が出来たこと等もあったようで、スリランカ支配をしていく際にイギリス人が重用したのでしょう。独立前はタミール人の多い北部主要都市ジャフナにある学校の数が、それ以外の地域にある学校の数より多かったそうです。それくらい優遇されていたという証左です。しかし、1950年半ばからスリランカの主要民族シンハラ人が民族的アイデンティティーを進め、シンハラ語を国語とする政策を進めます。この辺りが紛争の原点になります。よくある多数派と少数派の対立と言えば、そういうことなのでしょう。勿論、タミール人がヒンドゥー教なのに対して、シンハラ人が仏教だというのもあります(なお、スリランカには少数ですがイスラム教もあります。)。


 決定的に内戦状態になったきっかけは1983年の大虐殺です。北部のジャフナで政府軍とLTTEの小競り合いで政府軍に使者が出たのをきっかけに、首都コロンボから広がるかたちで3000人くらいのタミール人大虐殺が起こっています。上記のような様々な理由で、ちょっと火がつけば燎原のように燃え広がるということですね。


 インドとの関係もなかなか微妙なものがあって、タミール人の中で中部に住んでいる人はインドからの移民が多く、元々スリランカ北部・東部に住んでいたタミール人とはちょっと別扱いになります。歴代スリランカ政府はこのインド出身タミール人から国籍を取り上げたり、インドに送り返す等して、スリランカ国内におけるタミール人の比重を減らそうとしてきました。インドは南部タミール・ナドゥ州の分離運動への懸念や、スリランカのタミール人への親近感から、かつては財政支援をしていた時期もありました。1987年には当時のラジブ・ガンディー印首相とスリランカ首相で合意に達して、スリランカ北部・東部に対する地方分権、更にはタミール語の国語化みたいな譲歩を引き出し、その対価として武装解除等を目的とするインドからのPKOが出ています。このPKOが全然上手くいかず、スリランカ政府からの譲歩は実現できないし、LTTEは武装解除しないし、ということで、結局ほうほうの体でインドPKOは撤退させられてしまいます。しかも、PKO派遣でスリランカ・タミール人の恨みを買ったガンディー印首相はLTTEの自爆テロで暗殺されてしまいます。「同じタミール人を国内に抱えているから、インドはLTTEに親近感があるだろう」なんてのは大きな間違いです。


 その後の内戦の流れをくどくど書くのは止めときます。LTTEは地歩をかなり固めていた時期があり、海軍(のようなもの)まで持っていました。潜水艦まで持って、スリランカ海軍とドンパチやっていたこともあります。LTTEはプラバカラン司令官の下で先鋭化して、自爆テロ攻撃にも手を着け、空港爆破、大統領暗殺未遂等、かなり激しくやっていました。当時、コロンボに勤務していた日本大使館員は結構日々の恐怖を実感していたようでした。その結果、LTTEはインド、アメリカ、イギリスあたりからテロ組織認定されていました。


 今回、組織的な内戦は終わりました。私の経験から言えば、「この後が重要」なのですね。まず武装解除させなくてはいけません。そして、国民の18%を占めるタミール人への処遇も考えないといけません。このあたりに早く着手しないと、すぐに自爆テロが再開しないとも限りません。武装解除と地域への再統合というのは難しいのです。これまでドンパチやっていた人達に職を与える必要があります。国内避難民になっている人達に定住する場所を提供する必要があります。単に「武器を出しなさい」では、不信感のあるタミール人はおいそれと頷くことはないでしょう。アフリカで見た武装解除・再統合のプロセスは、紆余曲折を経ながらの取り組みになります。政治面では、国内政治におけるタミール人のプレゼンスをある程度(少なくとも人口比以上)は確保してあげることが必要ですね。ともかく、これまでプライドを持って戦ってきたタミール人のそのプライドを踏みにじらないような政策で進めていかないと、すぐにまたボンッと爆発するでしょう。戦いには完勝なのですから、スリランカ政府は「これ以上勝ちすぎない」政策に移行する気構えが求められます。


 あと、今回の内戦末期の国際社会の動きはなかなか面白いものがありました。私は(後付のようになるのですが)「和平」を訴える欧米の声がとても非現実的に聞こえました。正直、そんなのは「無理」なのです。これまでのテロ攻撃の恨み等で、スリランカ政府と軍部は完全制圧する意向があったことは明らかでした。欧州の国は国連安保理の開催を求めていましたが、日本は珍しくこの手の話で国連安保理での議論に反対をしていました。思うに明石政府代表が「そんなことをしても意味がない」という判断をしていたのではないかと邪推しています。ただ、日本の姿勢はかなり欧州のヒューマニストからは批判をされていましたけど、上手く説明できませんが、私も国連安保理なんかに持ち込むだけ無駄だろうなと思っていました。不謹慎な言い方ですが、もう政府軍がLTTE制圧直前まで来ている時に、国際社会は「お呼びでない」のです。死者が出ていることを軽視するつもりもありませんが、国連安保理云々の話が上がった時には「時既に遅し。放っておくしかない。」という状況だったように思います。ちなみに、内政干渉反対という観点から中露も国連安保理での議題とすることには反対していたようです。日本と中露がこういう件で、結果として見解が一致する(あくまでも「結果として」です。動機は違います。)のは珍しいですね。


 まあ、すべてはこれからです。このブログでも何度も書きましたが、テロ行為が起こる原因は決して経済的理由が直接的なものではありません。どんなにタミール人にお金を投じても、彼らの感情面でのしこりが解けない限りはダメなのです。私はテロに走る原因は「剥奪されているという感情」だと思っています。それは経済的に豊かになっても生じうる感情です。政治的に、社会的に、そして経済的に「自分達は剥奪されていない」と思える環境を作っていけるか、今後のスリランカの課題でしょう。そこに日本はどう関与するかですが、決してお金を出せば済む話ではありません。


(偏屈の3乗くらいの意見ですが、日本政府がよく「貧困がテロの原因」と言っているのは、金を出せばともかくテロ対策に貢献していると思ってもらえるという思惑があるような気がしています。金を出して貧困対策をやってもテロは解決しないという論理が国際社会の大勢になると・・・、やりにくいんじゃないんですかね、日本は。)