ここ数日、ホロコーストについて考えさせられました。ユダヤ人大虐殺のことですね。


 まず、アメリカ在住のジョン(イヴァン)・デムヤンユク氏がミュンヘンに移送されました。同人は元々ウクライナ出身で、第二次世界大戦時に赤軍兵士として戦い、ナチスに拘束された後、今度はユダヤを収容していたポーランドのソビボル強制収容所の看守として、29000人のユダヤ人殺害に関与したとされています。当時はロシア皇帝イヴァン雷帝に準えられて、「Ivan the terrible」みたいな呼び方をされていたそうです。第二次世界大戦後、アメリカ在住でしたが、その後上記の罪状でイスラエルで裁判を受けます。一旦は死刑判決が出ますが、その後証拠不十分で釈放され、またアメリカに戻っています。ここ数年、やっぱり「あのソビボルにいたイヴァンだ」ということを証明する情報が確認されつつあり、引き渡されるのはウクライナなのか、ドイツなのか、イスラエルなのか、ということが議論になっていました(なお、ウクライナは「うちの国籍を有していない」と言っているそうです。)。2か月前にドイツから逮捕状が出て、アメリカでの法廷闘争を経て、今回の移送になりました。もう、89歳になる人ですが、ドイツ国内法ではナチス犯罪は時効がありませんので、これから裁判でユダヤ人虐殺への関与が明らかにされていくのでしょう。欧州では死刑が廃止されているので、この高齢で収監になるかどうかという判断になります。


 このユダヤ人虐殺に関与したナチス関係者への追及というのは、現代でもまだ続いています。最近だけでも、戦後、エジプトに潜伏していたナチスの医者アリベルト・ハイムが実は1990年代に死んでいたみたいな話が欧米では結構なニュースになりました。死の医者として、ユダヤ人の心臓にガソリン注入を行ったとか、それはそれはヒドいことをやっていたそうです。ナチス関係者への追及で一番有名なのは、1960年頃に全世界を震撼させたアドルフ・アイヒマンですね。アイヒマンは、イスラエルによってアルゼンチンで拘束され、生きたままイスラエルに移送され、死刑判決を受けています。私がいたフランスでも、私がいた1996年にモーリス・パポン元予算相(ジスカール・デスタン大統領時代)がユダヤ人虐殺に関与したとして起訴されました。当時、「ああ、この時代になっても追及は続くのだ」と、とても印象深かったのを思い出します。


 今でも、こうやってナチスの戦争犯罪人を追い続ける執念はよく分かります。第二次世界大戦が終わって64年、どんなに若いナチス党員でももう80代後半です。もう存命の人間もそれ程残ってはいないと思いますが、その犯罪は許されてはならないと思います。


 ここでちょっと仮定の話を考えてみました。ナチスのユダヤ人虐殺に関与した戦争犯罪人が日本に潜伏していたとします。さて、日本は今回のように犯罪人引渡しのようなことができるでしょうか。犯罪人引渡し条約がドイツとの間で成立していないので、多分そういうことにはならないでしょう。かといって、日本国内で裁けるわけもありません。どうなるのかな?、と理論上の可能性を考えてしまいます。まあ、あくまでも理論上の話であり、現実味がないですけどね。


 これとは別に、ローマ教皇ベネディクト16世がイスラエルを訪問していました。ホロコースト記念館でのスピーチでは「ホロコーストを否定したり、その事実を疑ったり、忘れたりしてはならない」という発言をしていました。これ自体は良いコメントだと思いますが、ベネディクト16世はこれまでホロコースト否定主義者の破門を解除して、イスラエルから非難されていました。そもそも、ローマ教皇(ピウス12世)は第二次世界大戦中にナチスと宥和的だったという非難も受けています。まあ、当時欧州で伸長著しかったナチスからの迫害を防ぐため、関係を持ったという理屈も分からんではありません。ただ、ベネディクト16世は自分の過去の振る舞いや、ユダヤ人側から見た第二次世界大戦時のローマ教皇庁の姿勢に鑑みれば、もうちょい踏み込んだ方が良かったような気がします。「ごめんなさい」という謝罪が出てこなかったのは、偶然なのか、それとも不可謬たるローマ教皇だから過去の教皇の振る舞いを覆せないのか、それとも心の何処かで「そこまではやらない」という意思があったのか、まあ、恐らくはベネディクト16世の強い意向があって謝罪には至らなかったのでしょう。これでは、イスラエルとローマ教皇の関係は決定的な改善は無理でしょうね。今回、とどのところ、ベネディクト16世は何をしに行ったのかな?という気にならんでもありません。


 そして、最後にマイナーなニュースですが、オーストリアのマウトハウゼン収容所で、解放記念日を祝っている最中に親ナチスの青年が妨害したということで逮捕されていました。どうして、こういうことが起きるのかなと残念でなりません。経済情勢が悪化する、社会での不平等が高まる、その結果としてスケープゴートとしてユダヤ人を使うということなのかと思います。このスケープゴート作り、日本にも似たような傾向が読み取れるような事象があるので気になります。「歴史から目を背けると、現在に盲目となる」という有名な文句を改めて噛みしめます。


 人間というのは弱いもので、自分の苦境のはけ口を何処かに求めざるを得ないのでしょうか。私の地元には、色々なかたちでの差別の根が残っています。歴史的に不満のはけ口となり、差別した人、心中では今でも差別の気持ちを持っている人、差別の対象となった人、解決すべき事柄は多岐に亘っています。人類は過去にユダヤ人虐殺という過ちを犯しました。そこから何を学べるか、我々はもっと歴史から多くのことを学ばなくてはならない、上記の色々な出来事を見ながら、陳腐ではあるもののそういう大事なことを考えているところです。