題は深い意味はなくて、中学時代、私の同級生がマダガスカル島のことを「まだ、助かる島」と暗記していたのを思い出しただけです。


 映画で「マダガスカル2」というのが流行っていますね。私はマダガスカルには行ったことがありません。ただ、2億年くらい前にアフリカ大陸とは切り離されているので、植生や動物等は非常に特殊なものがあることは想像できます(オーストラリアと似たような条件でしょう)。写真で見る限り、マダガスカルのバオバブは、私がセネガルで見たバオバブとはかなり異なります。植物や昆虫を専門にする学者さんが行くと、楽しくて楽しくてたまらない場所だそうです。


 また、あの国は人種がマレー系、インド系、アラブ系と混ざっていて、正直なところよく分からんのです。顔を見てみると、ちょっとアフリカという印象ではありません(前大統領のラヴァロマナナ )。ちょっと意外かもしれませんが、マダガスカルはインドネシアからマレー系の人が最初に移住してきたと言われており、アフリカ系の人が移住してきたのはその後です。よくマレー系の国だと言われていますが、別に今のマレーシア、インドネシアと強い関係があるわけではありません。なお、東隣のモーリシャスはインド色がとても強く、北の方にあるコモロはアラブ色が豊かですね(ちなみにコモロというのはアラビア語で「お月様」という意味です。月が綺麗な島なんでしょう。)。つまり、あの地域というのは、海の通路としてあちこちから人がやってくる海の十字路的な場所なんですね。


 あの地域で興味深いのは、フランスの海外県レユニオン島とモーリシャスの差です。レユニオン島というのは、フランスの海外県で不可分として一体の領土と言っていいでしょう。その結果として、フランス本土から、高い生活水準を維持するための補助金がガバガバ出ていて、それに住民が慣れてしまい、とても怠惰な感じが漂っているそうです。しかし、そのすぐお隣の独立国モーリシャスはサトウキビ栽培を中心とするモノカルチャー経済ですが、非常に勤勉な民族であり、一人当たりのGDPは相対的に高いです。それでも、生活水準だけならレユニオン島の方が上でしょうが、決してレユニオン島の置かれた現状が羨ましいと思えないのです。


 日本との関係といって思い出せるものはあまりありませんが、第二次世界大戦中、日本海軍はあんな遠くまで出て行ってイギリス軍と一戦やっています。そのバイタリティに驚くと共に、「そもそも、そんなところまで出て行く目的は何だ?」と、改めて戦略的な詰めがどうなっていたのか疑問になります。


 そんなマダガスカルが大きく揺れています。歴史を振り返ると、1970年代から1990年代前半まではディディエ・ラツィラカという大統領の支配でした。非常に共産主義に近いところにあった政権でした。冷戦終了後、ラツィラカ政権は選挙で敗れましたが、後継のザフィー政権は人気がなく、結局、1990年後半には共産主義のくびきから逃れイメージ改善したラツィラカが再度政権に着きました。この時の選挙はアフリカにしては珍しく大接戦でして、しかも負けたザフィーが政権から素直に出たという意味で珍しいなあと思ったものです。


 こういう国は実はマダガスカルだけではないのです。私が記憶しているだけで、ラツィラカの加えて、コンゴ共和国のドゥニ・サスー・ンゲッソー、ベナンのマティウ・ケレクーという大統領が同じような道(共産主義→政権脱落→復帰)を辿っています。1990年前半にアフリカに吹き荒れた民主化の風については、勿論成功しているケースがたくさんありますが、そういう視点から検証してみるのは面白いのではないかと思っています。


 ラツィラカは1997年に大統領に復帰した後、あまりパフォーマンスが良くなかったですね。経済が上向かず、お決まりの汚職も伴い、結局、2001年の大統領選挙で首都アンタナナリヴ市長のマルク・ラヴァロマナナに負けてしまいます。この時は、ラツィラカが政権にすがりつき、ラヴァロマナナとのガチンコが数ヶ月続きました。この時、かなり早い段階でラヴァロマナナが「自分が大統領だ」と自己宣言し、その後、ラツィラカを追い詰めていきました。たしかに、この時かなりマダガスカルの国土が荒廃しました。当時、ラヴァロマナナは、アフリカの首脳連中の間ではあまり歓迎されませんでした。たしかに選挙で勝ったものの、その結果が確定する前に自分で大統領就任を宣言して既成事実化して、ラツィラカを追い出したような感じがあったことが好かれなかったのですね。アフリカ連合の首脳会合等で、ラヴァロマナナは口を聞いてもらえず苦労していたようでした。


 そんなラヴァロマナナも今回放逐されてしまいました。私が報道等から見ていた限りは、そんなにラヴァロマナナの治世が悪かったような気がしないのですけどね。外資導入に積極でしたし、全体として非常にアングロサクソン的なネオ・リベラル的改革に乗り出していたように思います。成果については争いがありますけども、他と比してとても悪かったということでもないように思えてなりません。ただ、権威的だとか、経済改革が激しすぎるとかいうことで、これまたアンタナナリヴ市長だったアンドリー・ラジョエリナを頭とする反政府勢力から退陣させられてしまいました。今回もかなりラヴァロマナナとラジョエリナの対立が続きましたが、結局はラヴァロマナナの不人気が祟ったようです。


 邪推の部類としては、ラヴァロマナナがアングロ・サクソン寄りだったので、フランスが反ラヴァロマナナで動いたと見ることもできます。例えば、ラヴァロマナナは英語を公用語にしたといった動きもありました。その証左として、今回フランス政府は本件に関する発信が非常に少ないのです。かつての植民地がこれだけ揺れ動いているのに、フランスの動きがあまりに鈍いのは変な印象があります。


 ただ、ラジョエリナ新大統領はまだ34歳です。私より若いですね。写真で見る感じでも、どうも頼りな下げです。正直なところ、今、世論のユーフォリアに乗っていますが、まあラジョエリナ政権は長持ちしないような気がします。いずれにせよ、大統領が首都アンタナナリヴ市長から2回続けて正常でないかたちで放逐されたというのは、まだまだマダガスカルという国の民主主義への歩みが長いんだろうなということを伺わせます。ラジョエリナ政権が長持ちしないという前提に立てば、まだ暫くはガタガタすると見ていて間違いないと思います。