【このエントリーは相当法律、特に国際法に関心がある方でないと、とてつもなくつまらないと思います。いつもそうなのですが、今回は特につまらない度合いが高いのであえて強調させていただきます。】


 今日、朝遊説をしながら、ずっと「自衛権」について考えていました。朝の寒い交差点でご挨拶しながら、ずっと「自衛権」について考えるのはなかなか難しいのですが、幾つかの疑問点が浮かんできました。


 そもそも論なのですが、私は今の「自衛権」に関する議論で、「集団的自衛権」、「個別的自衛権」に分離して、個別的自衛権はOK、集団的自衛権はダメという結論からスタートするのが嫌いです。そもそも、集団的・個別的と分ける前提が間違っていると思うのですね。自衛権というのはあくまでも自衛権でして、集団的であろうと、個別的であろうと、日本を自衛するために必要最小限のことはやればいいということです。以前、久間防衛大臣も似たような問題意識を表明していました。普通に考えればそういう結論になるのでしょう。


 ということで、国連憲章第51条の自衛権のところを見てみました。まず、日本語訳ではこうなっています。


【国連憲章第51条(邦訳)】

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。


 まあ、これを見ると、ああ個別的自衛権と集団的自衛権があるんだなという読み方になります。これは、公用語の一つの英語からの直訳なんだろうと思っています。英語は以下のようなものです。


【国連憲章第51条(英語)】

Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security.


 語感としても「inherent right of individual-self defence」と「inherent right of collective self-defence」があるようになっています。日本語との対比関係はほぼパーフェクトです。


 しかし、公用語の一つであるフランス語やスペイン語ではちょっと感じが違うような気がするのです。私はスペイン語はあまり分かりませんが、こういう文章であれば大体理解できるので、その浅薄な理解の下にあえて考えてみます。


【国連憲章第51条(フランス語)】

Aucune disposition de la présente Charte ne porte atteinte au droit naturel de légitime défense, individuelle ou collective, dans le cas où un Membre des Nations Unies est l'objet d'une agression armée, jusqu'à ce que le Conseil de sécurité ait pris les mesures nécessaires pour maintenir la paix et la sécurité internationales.


【国連憲章第51条(スペイン語)】
Ninguna disposición de esta Carta menoscabará el derecho inmanente de legítima defensa, individual o colectiva, en caso de ataque armado contra un Miembro de las Naciones Unidas, hasta tanto que el Consejo de Seguridad haya tomado las medidas necesarias para mantener la paz y la seguridad internacionales.


 この二つの言語では、まず「自衛の固有の権利を害するものではない」ということがバシンッと書かれていて、その後で「それが個別的であろうと、集団的であろうと」というニュアンスで続きます。邦訳すると、英語からの訳とあまり違わないような気もしますが、ちょっと受ける印象が違うんですね。


 まあ、フランス語やスペイン語は形容詞が後ろから付いてくるので、自ずと上記のようなニュアンスにならざるをえないのかなと思いますが、それでもやっぱり日本語の国連憲章とは違う感じがします。フランス語やスペイン語では、本来「自衛権」というものが固有の権利として存在していて、国連憲章の規定はそういう権利を害するものではないということになっていて、その付加的な情報として、その自衛権というものの考え方が個別的であろうと、集団的であろうと別に同じなのだ、というように書いてあります。


 ちょっとしたことなのかもしれませんが、本エントリーの一番最初に書いた私の考え方に近いです。個別的とか、集団的とかいうことは所詮は後からくっ付いてくるものであって、まずは「日本に必要な自衛権とは何ぞや」ということを真摯に考えていくべきではないかと思うのです。


 日本の自衛権議論がとても不毛なことの理由はたくさんありますが、その一つがこの「個別的・集団的」の分類学なのです。内閣法制局がそういう構成をして、歴代内閣がそれに従ってきたため、それですべての論理が構成されてきて、今更引き下がれないのでしょうが、誰かが「その分類に引きずられるのはおかしい」と言わなきゃいけないのです。久間大臣は少し議論を提起し始めた節がありますが、この鉄板のような内閣法制局の理屈の壁を打ち破るには、相当な知恵が必要なんですよね。