議員というのは、とどのところ何だろう、とふと思いました。代議制ですから、市民、県民、国民を代表して、議会でそれぞれの政治体のことについて決定する立場にある、と言えばそうなんだろうと思います。


 これはフランス革命時からずっと問われている問題でして、それ以前の身分制議会では自分のよって立つ団体の意思を正確に議会の場で反映させるものとして議員が存在していました。まあ、有り体に言うと、自分の意志の働く余地がないという意味でロボットに近い感じです。これを「強制委任」と呼んでいます。


 これに対抗するかたちで出てきたのが、選挙民の意思から完全に自由なかたちで議員は判断しなくてはならないというものです。これを「自由委任」と呼びまして、エドモンド・バークという思想家がイギリスで主唱し始めたものです。時代的には、フランス革命盛んなりし時期であり、まあ保守主義的な立場から見ると、移ろいやすい世論に軽々に流されないよう「自由委任」の考えを選択するのは当然と言えば当然です。何となく、プラトンの言う「賢人政治」に近いところもあるのかなと思ったりします。


 さて、私が目指しているのは「強制委任」なのか、「自由委任」なのか、そんなことを思いました。「強制委任」に近いイメージは、(極論すると)自分の拠って立つ団体や地方の利益誘導ばかりをやっている政治家ですね。「自由委任」と言うと、自分のいる議会がカバーする地域全体の利益だけを考えて行動し、陳情など一切受けず、地元の代表という色彩を排除していくことになります。勿論、二分法で考えることができるわけではありません。まあ、その中間くらいなんだろうなと思いますし、ジャン・ジャック・ルソーなんかはその延長線上で「半代表」という考え方を提示しています。


 まあ、「強制委任」と「自由委任」との中間と言いつつも、国政だと「自由委任」の方に少し近づくでしょうし、地方自治体だと「強制委任」の方に少し近づく感じがありますね。


 自分の中では、勿論、この北九州市という地域を代表すべく国政を目指しているわけで、その基本は忘れてはなりませんが、その一方でお国全体のことをいつも考えていることができるように、という意識もあります。そもそも選挙があるので、完全に「自由委任」的な発想に染まることはできないわけですが。


 何故、そんなことを考えたかというと、先日TVを見ていたら「国会の議席数削減」について議論が行われていて、「議席数削減で経費削減や行政改革への意気込みを示すべき」的な議論がなされていたことに対して、反対論者が「いやいや、地域の意見を吸い上げるという観点からは、議員を減らせばいいというものではない」という議論をしていたのが発端です。地域や職能団体の意見を吸い上げるという視点を強く主張することで議員削減に反対することは是か非か、ということなのです。上記で言うと、後者は「強制委任」的な視点を強く出すことで、今の議席数は必要だという主張だったのですね。


 私は議論を聞きながら全くしっくりこなかったのですが、恐らくその理由は、そのTVでの議論が(若干煽情的なかたちで)「議員なんかどうせ働いていないんだから減らせ」という立場と、「いや、地域代表は必要」という立場でしかなかったせいなのでしょうね。「議員を減らすべき」ということであれば、具体的に数字や論拠を挙げながら減らすこと及び削減幅の正当性を説明すべきなのでしょうし、「削減反対」であれば、今の議席数が過不足なく適正な数字であることを説得力を持って説明すべきなのでしょう。まあ、感情論で「議員なんかどうせ大したことやってないんだから減らせ」という主張しか出てこない限りは、この議論は進まないでしょうし、逆に「地域の意見吸い上げ」だけを論拠に議席削減に反対する限りは国民の理解は得られないだろうなと思います。


 自分がどういう立場を目指そうとしているのか。具体的な政治にはあまり関係のない話かもしれませんが、こういう「そもそも論」というのは肝に銘じておきたいところです。ともすれば、日々のゴタゴタの中で自分の立ち位置を見失いそうなので。