ギニアビサウという国が何処にあるか、分かる方はそうそう多くはないと思います。アフリカの西海岸沿いにあります。セネガルとギニアとの間にあります。 私がセネガルに勤務時に、大使館としてこの国を管轄していました。超マイナーなことについてはお墨付きでして、当時「BRUTUS」という雑誌で特集されていた「世界で最もマイナーな国トップ3」の中に入っていました。日本でギニアビサウに関係あるものを探そうとすると、唯一あるのが「カシューナッツ」です。あれはギニアビサウにあるカチェウ地方(Cacheu)の特産品でして、私はよくあれをポリポリ食べながら仕事をしていました。


 あの辺りは、何処が植民勢力だったかということで線引きがされていることが多いです。総じてフランス語圏が多いのですが、例えばイギリスが宗主国だったガンビア、シエラレオネ、ポルトガルが宗主国だったギニアビサウ、カーボヴェルデ・・・といった感じです。そもそもはそんな線引きがなかったところに、今となっては越え難い国境ができ、話す言葉も異なってしまい、文化が異なり、まあ、ヨーロッパの植民勢力というのは罪作りな輩達よ、といつも思います。ガンビアなんてのは、地図を見てもらうとよく分かりますが、一国として成り立つのが相当に困難な国です。単にフランス植民地域の中で、ガンビア川沿いにイギリス人が植民したという理由で、そこが一つの国になったわけです。かといって、周囲を囲むセネガルと連邦を組もうと努力をしたのですが、結局ダメでしたね。やっぱり植民勢力が持ち込んだ文化というのは抜きがたいものがあるようです。


 かつても一度書きましたが、このギニアビサウという国は経済発展の度合い、識字率といった指標が非常に低いです。周囲の国と比べても格段に低いです。色々な理由があるのですが、その一つにポルトガルが宗主国だったというのがあるように思います。既に15世紀の時点で植民勢力が入り込みましたが、結論から言うとポルトガルという国は国力が弱かったので植民地にあまり投資をしていないんですね。単に奴隷貿易であったり、奴隷貿易廃止後はアフリカ収奪の目的でしか捉えなかったためか、近代になっても教育等への投資が非常に疎かな印象があり、それが現在に至るまで尾を引いています。それでいて、植民地から一番最後に出て行ったのもポルトガルです。1960年代くらいから、独立解放運動が盛んになり、当時のポルトガルのサラザール独裁体制はこれに持ちこたえられなくなって、1975年に有名なカーネーション革命(左派政権成立)になるわけです。最後まで植民地を持ち続けて、その負担に耐え切れず本国の政権が潰れてしまったということです(その背景には独立解放勢力をソ連が強烈に支援したということもありますけどね)。ということで、私はポルトガルに対するレーティングが極めて低いです。


 思い出としては、1998年にクーデターが起こった際、ちょうどセネガル勤務でして、首都ビサウに住む数少ない日本人をどう退避してもらうかというオペレーションに少し関わりました。ともかく現地は通信手段が限られるので、衛星電話で色々とやり取りをしたのを思い出します。衛星電話というのは宇宙にある静止衛星を通じた電話でして、値段は相当に高いですが世界のどんな場所からでも電話が掛けられます。昔、サハラ砂漠のど真ん中を時速100キロでぶっ飛ばす車中から東京の外務省に実験的に電話したことがあるので保障済みです。


 あと、お笑いのような話ですが、とある機会にギニアビサウの首相が訪日することになった時のことです。首都ビサウを首相が出発した後に、事後連絡で「うちの首相がおたくの国に向かったから後は宜しく」みたいな連絡があったのですね。しかも、誰が何人同行しているかも不明でして、ちょっと普通では考えられない「アポなし突撃による首相訪日」でした。アフリカや中東に慣れると、「まあ、そんなもんか」と諦めもつくものですけどね。


 ちょっと導入が長くなりましたが、そのギニアビサウでヴィエイラ大統領が暗殺されました。軍と大統領との対立が甚だしく、直前に軍のタグメ・ナ・ワイエ参謀総長が爆殺されていたことに対する軍の報復と見ていいでしょう。


 アフリカではよくあることなのですが、政治家が腐敗してくると軍が出てくるというのがパターンです。ヴィエイラ大統領は1980年から大統領をやっていましたが、まあ、汚職と腐敗の激しい政治をやっていました。1990年代はアフリカでも民主化の流れが強まってきたので、少しずつ汚職・腐敗政治がやりにくくなる雰囲気が醸成されていたのですが、そんなアフリカの流れから取り残されたかのように当時のヴィエイラ大統領は不届きな政治をやっていました。そして、1998年の(上記の)クーデターが起こり、最終的に1999年にヴィエイラ大統領は軍から放逐されてしまいます。暫くヴィエイラ大統領はポルトガルに亡命していました。


 一応、その後きちんと民主的な手続きによって、2000年クンバ・ヤラという人が大統領になりますが、この人は権力分配をめぐって軍との関係が悪化してしまいます。2003年に再度軍のクーデターで、民主的に選ばれたヤラ大統領も放逐されてしまいます。民主的に選ばれた大統領が、簡単にクーデターで追い出されてしまうところにこの国の病理があるように思えてなりません。軍や政治の資質が低い、それは未だギニアビサウという国全体の資質が高まっていないということのような気がします。


 2005年に再度大統領選挙が行われて、1999年に放逐されたヴィエイラが返り咲きます。当時、「あ、ちょっとは変わったのかな」と思ったのが、選挙期間中、ヴィエイラが国民に対して「これまでの色々な失敗に対してお詫びする」と語りかけたことです。ヴィエイラはポルトガルの支援を得ていたようで、大統領選挙に勝ちました。あと、フランスもどうもヴィエイラを陰に陽に押したみたいです。というのも、クーデター前のヴィエイラ政権時にギニアビサウがフランス語圏の統一通貨「CFAフラン圏」に入ったため、フランスからすると可愛いヤツなのですね。フランスは頭を下げて、自国の勢力圏に入ってこようとする国を大切にします(逆も真なりですけど)。


 そんな経緯を経て、また今回クーデターですからね。理由は軍との対立がのっぴきならないところまで行ったということなのですが、その対立のきっかけというのが必ずしも明確じゃないんですね。いつもギニアビサウという国でクーデターが起こる時は、「何がどうこじれてそこまで行っちゃったの?」というくらい理由が明確じゃないのです。報道を見ても「権力争いの果て」みたいなことしか書いていません。とても小さい国なので、利権がらみではあるものの単に個人的な好き嫌いが一番の原因じゃないかと疑っています。


 まあ、ちょっと長めに「マイナーな国」について書きました。別に日本には何の影響もないでしょう。ただ、最近ギニアビサウというのは麻薬の中継地点になっているらしいという噂があるんですよね。たしかにアフリカの中では非常に脆弱性の高い地域でして、ここからアメリカや南米に怪しい船が出ていてもそれを取り締まることはできないでしょうから。