閣僚になる方の中で、いわゆる「民間」と位置付けられる方がいます。その多くは「うーん、民間人とはとても思えんが、たしかに政治家ではない」というくらいの感じの方が多いです。先の福田内閣で総務大臣をやっていた増田大臣なんてのは、官僚→知事を経ての大臣ですから「民間」とは到底位置づけにくいですね。どちらかと言えば「非議員」といったところでしょう。これ を見ていただければ分かりますが、普通の感覚で「民間人」を思える方は殆どいないですね。


 私は川口外務大臣を傍で見る機会がありましたが、まあ、民間閣僚というのはイジメに遭いますね。与党重鎮議員からは格下だと見られ、僻み、やっかみもあってか、かなりイジメに遭っていました。国会議員というのは、どうしても「自分達は選良である」という意識が前面に出るため、選挙の洗礼を受けてない人間に辛く当ります(これは与野党、どの政党も問わずあります)。ちょっと強気の発言をしたり、既定路線に外れたイニシァティブを取ろうとすると、すぐに「バッジがついてないくせに」という批判を受けるものです。あの強気の竹中経済・財政相ですら、途中からは参議院議員となる道を選ばざるを得なかったところに、国会議員からの批判・非難が如何に強いのかということがうかがい知れるところです。


 どうしても、民間閣僚は総理大臣の権威に依拠するところがあります。議員という立場を持たない中、国会で議員と伍していくためには、最終的には総理大臣の十分なバックアップがないと結局一人ぼっちになってしまいますね。竹中さんには小泉総理の力強いバックアップがありました。逆に大田経済・財政担当相は最後まで目立たないままで、大した成果を残せなかったように思えます(個人のキャラクターもあるのでしょうが)。


 民間閣僚ということであれば、純粋に大統領制の国では、議院内閣制と異なり、そもそも行政が議会と切り離されているので、民間からの閣僚でも十分にやっていけます。むしろ、議会とは無関係の方が閣僚になることの方が通常ですね。したがって、アメリカで民間人が閣僚になっていくのと、日本で民間人が閣僚になることを同列で議論することは難しいですね(しかしながら、こういう議論は多いです。)。


 面白いと思ったのは、フランスです。あの国は大統領は公選制で、大統領が首相を任命し、首相は議会からの信任を受けなくてはなりません。アメリカと日本の間くらいにある制度です。したがって、大統領与党が総選挙で負けてしまうと、結果として首相を対立政党から選出せざるを得ないようになることがままあります。これをコアビタシォンと呼び、これまで1986-88(ミッテラン大統領-シラク首相)、1993-1995(ミッテラン大統領-バラデュール首相)、1997-2002(シラク大統領-ジョスパン首相)と3回ありました。そういう国で民間閣僚というのはどう位置付けられるかということです。


 良い例が、2002-2004の第一次、第二次ラファラン内閣です。大統領に再任されたシラクが国民議会選挙でも勝ち、コアビタシォンを解消しラファランを首相に指名しました。その際、主要閣僚である教育相と経済・財政・産業相(日本の財務、経産大臣+αくらいの強力な大臣)に、それぞれ、リュック・フェリー、フランシス・メールと民間人を持ってきました。フェリーはなかなか格好いいおじちゃんで、教育の地方分権化を進めようとしましたが、強烈な反対に遭い頓挫しました。メールは企業社長からの入閣で、非常に率直なモノの言いをする人でした。この2人は主要閣僚として任命されたものの、テレビや新聞でいつも見ていて「あー、やっぱり上手く行かんのだろうな」と感じることが多かったですね。


 そんな中、2004年に地方議会選挙で与党が大敗北をしました。それはそれはボロ負けで、首相のラファランの地元であるポワトゥ・シャラント地方も野党社会党に持っていかれたくらいの大敗北でした。マスコミの評価は、この結果は各地方の政情が原因ではなく、中央での与党に対するお仕置き的な意味合いが強いというものでした。これを受けて、ラファランは内閣改造をしましたが、そこにフェリーとメールの姿はありませんでした。恐らくは大統領のシラクが民間出身の両閣僚に見切りを付けたのでしょう。はっきりとした確証はないのですが、「半分大統領制で半分議院内閣制のフランスであっても、やはり民間閣僚というのは議会との関係が難しいのだ」と感じたものです。


 日本でも民間閣僚の話はよくあります。我が民主党からも「政権交代は民間人の識見を活かしながら・・・」なんてのはよく出てくる議論です。ただ、この民間閣僚、単なる客寄せパンダ的な発想では絶対に上手くいきません。個人の見識、覚悟、そして総理大臣からの揺らぎなきバックアップがなければ、客すら呼べないパンダで終わってしまいかねませんからね。