最近の政局を見ていると、(他人事のような言い方と叱られそうですが)「ゲームの理論」をよく思いだします。よく新聞紙上で「神経戦」と言われる状況がそうですね。


 今の状況はゼロサムゲームなのか、非ゼロサムゲームなのか(ポジティブサム、ネガティブサム)、なんてことを考えています。通常、非ゼロサムゲームでは自分に都合の良いように相手の協力を取り付ける(追い込む)かということが重要になります。また、ゲームへの参加者間でコミュニケーションが成立している場合、成立していない場合でも当然結果は変わってきます。更にはコミットメントの意義、確率論・・・と、突き詰めていくと非常に広い世界が展開されています。


 昔、ノーベル経済学賞を取ったトーマス・シェリングという人の「Strategy of Conflict」という本を読んだことがあります。上記のようなことが非常に理論的に説明されています。何でも、1945年以降の最も影響力のある本100冊に入る名著だそうです。
調子に乗って英語でチャレンジしたためか、今一つよく理解できず挫折してしまいました。先日、本を整理していたら出てきました。いつか、また読んでみたいと思っています(なお、最近は邦訳もあるそうでして読みやすくなっているそうです)。


 よく理解できていない「ゲームの理論」ではありますが、私自身はどうも頭の作りが「ゲームの理論」的発想に向いているようでして、ある現象を見て、その中で各自が合理的に動いたら結論はどうなるか、そういうことをすぐに考えます。その結果として、私がいつも怒られることなのですが「結論を出して見切るのが早い」という長所兼短所があります。どうも、私は物事への見切りが早過ぎて、時に周囲の方に戸惑いを与えるようでして、最近は少し慎重にやっています。


 しかしながら、国政についての見通しはいつも外しますね。これは外しまくりです。まあ、私から言わせると「確率の低い非合理的な動きをする人が政治の世界には多いから外れるのだ」ということになっています。ただ、「当てにならんから信じないことにしている」と妻から言い渡されています。